『お吉の写真は今も残っているが、小股のきれあがった美人である。勝気の気性が顔に現れている。下田奉行組頭黒川の記録によると彼女は当時芸者もしくは淫売だったようで、しかし相当な美人だから下田では名の売れた娘だったろう。まだ十七であった。ハリスはお吉に腫物があるというのを理由に三日で宿へ下らせた。お吉から腫物が治ったし、いったん異人館の門をくぐった以上人が相手にしないからという理由で重ねて奉公を願いでたが、ハリスは拒絶して、三ヶ月分の給料三十両を与えて手を切った。二十五両の支度金と三十両、合せて五十五両、奉行所へだしたお吉の受取りは今も残っている。三日の勤めに五十五両を払ってやったハリスも立派であったと云えよう。お吉の代りに他の女を欲しがった様子はなかったから、ハリスは女色の慾望は少なかった人のようだ。
ヒュースケンとお福はうまくいった。つまりラシャメン一号はお福の方で、お吉はラシャメン落第生だったのである。しかし唐人お吉の名だけが残ったのは、その性格人柄によるのであろう。ハリスは看護婦をもとめ、お吉は妾のつもりで乗りこみ両者食いちがっていたから是非もないが、両者ともにバガボンド的で魂の孤独な人たちだから、心がふれあえば温く理解し合ったかも知れない。ハリスは当時五十一であった。
後日ハリスが公使になって後、ヒュースケンは攘夷の浪士に殺された。英仏露等の公使がそれを機に日本を武力で屈服させようとしたとき、ハリスだけは日本の肩をもった。長い鎖国から開国したばかりの日本に外国人を憎む分子がはびこるのは当然であるし、日本を開国させた自分は開国後の日本を助け指導する義務がある。日本を苦しめることはできない、と云ってただ一人反対した。そのために英仏露は立場を失い窮したことがあった。
むろんこれはハリスの外交手腕でもあるけれども、ヒュースケンという自分の片腕とたのむ人物、そしてわが子のように愛していた若者を殺されて、しかもその人情よりも外交の仕事や義務の方を大事にしたハリスは偉大な人物といえよう。自分の野心や抱負のために、かくも畏しく人情を押えることのできたハリスは、お吉や女色に対しても情を押え得た人物であったろうことは想像できるのである。ハリスは甚だ個性的な独特の冒険児であり紳士であった。唐人お吉の物語はハリスの側からも書かれる必要があるだろう。その方がむしろ文学的興味をそそるもののように私は考えている。』
もしハリスが殺され、ヒュースケンが生き残っていたら、幕末の江戸は外国軍の手に落ちていたかもしれない。しかし同じ米人ホールは以下のように見ていた。
Hall was sometimes perplexed by what he saw, especially the widespread prostitution. Watching a daughter be sold as a prostitute by her mother ("at the shambles of sin"), Hall was struck by how the event was "done as a matter of course" with little sense of shame or wrong (p. 39). (The reader should wonder how, less than a week inside the country, Hall was able to culturally determine whether or not the mother felt shame.) Prostitution is a problem mentioned throughout the journal. He also observed that visiting foreigners often treated Japanese women rudely. There is a scandalous entry of 31 January 1861 regarding Townsend Harris who allegedly requested officials to find him a woman to sew buttons on his clothing, but when they brought him someone for that purpose, he is said to have replied, "What did you bring that old hag for, I don't want her to sew buttons on, I want to + + + +" (p. 199).
Francis Hall. Japan through American Eyes: The Journal of Francis Hall, 1859-1866. Edited and abridged by Francis G Notehelfer. Boulder and Oxford: Westview Press, 2001. v + 465. $30.00 (paper), ISBN 978-0-8133-3867-5.
Reviewed by Roger Chapman (Bowling Green State University)
Published on H-US-Japan (October, 2001)
The Aftermath of Perry's Visit (or Cutting a Journal Down to Size)
ヒュースケンとお福はうまくいった。つまりラシャメン一号はお福の方で、お吉はラシャメン落第生だったのである。しかし唐人お吉の名だけが残ったのは、その性格人柄によるのであろう。ハリスは看護婦をもとめ、お吉は妾のつもりで乗りこみ両者食いちがっていたから是非もないが、両者ともにバガボンド的で魂の孤独な人たちだから、心がふれあえば温く理解し合ったかも知れない。ハリスは当時五十一であった。
後日ハリスが公使になって後、ヒュースケンは攘夷の浪士に殺された。英仏露等の公使がそれを機に日本を武力で屈服させようとしたとき、ハリスだけは日本の肩をもった。長い鎖国から開国したばかりの日本に外国人を憎む分子がはびこるのは当然であるし、日本を開国させた自分は開国後の日本を助け指導する義務がある。日本を苦しめることはできない、と云ってただ一人反対した。そのために英仏露は立場を失い窮したことがあった。
むろんこれはハリスの外交手腕でもあるけれども、ヒュースケンという自分の片腕とたのむ人物、そしてわが子のように愛していた若者を殺されて、しかもその人情よりも外交の仕事や義務の方を大事にしたハリスは偉大な人物といえよう。自分の野心や抱負のために、かくも畏しく人情を押えることのできたハリスは、お吉や女色に対しても情を押え得た人物であったろうことは想像できるのである。ハリスは甚だ個性的な独特の冒険児であり紳士であった。唐人お吉の物語はハリスの側からも書かれる必要があるだろう。その方がむしろ文学的興味をそそるもののように私は考えている。』
もしハリスが殺され、ヒュースケンが生き残っていたら、幕末の江戸は外国軍の手に落ちていたかもしれない。しかし同じ米人ホールは以下のように見ていた。
Hall was sometimes perplexed by what he saw, especially the widespread prostitution. Watching a daughter be sold as a prostitute by her mother ("at the shambles of sin"), Hall was struck by how the event was "done as a matter of course" with little sense of shame or wrong (p. 39). (The reader should wonder how, less than a week inside the country, Hall was able to culturally determine whether or not the mother felt shame.) Prostitution is a problem mentioned throughout the journal. He also observed that visiting foreigners often treated Japanese women rudely. There is a scandalous entry of 31 January 1861 regarding Townsend Harris who allegedly requested officials to find him a woman to sew buttons on his clothing, but when they brought him someone for that purpose, he is said to have replied, "What did you bring that old hag for, I don't want her to sew buttons on, I want to + + + +" (p. 199).
Francis Hall. Japan through American Eyes: The Journal of Francis Hall, 1859-1866. Edited and abridged by Francis G Notehelfer. Boulder and Oxford: Westview Press, 2001. v + 465. $30.00 (paper), ISBN 978-0-8133-3867-5.
Reviewed by Roger Chapman (Bowling Green State University)
Published on H-US-Japan (October, 2001)
The Aftermath of Perry's Visit (or Cutting a Journal Down to Size)