公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

今読んでる『イケズの構造』入江敦彦

2019-01-09 10:02:03 | 今読んでる本
新潮社
平成19年8月新潮文庫 が電子化されたものを読んでいる。著者 入江敦彦

京都人の根底に恥を忌避する動機があり、千年の都会には傍若無人な支配者が来るたびに自己防衛してきた歴史があり、結果教育手段としてあるいは弱者の抵抗としてイケズの今日がある。おもしろいですね。イケズ使いこなせませんが。



イケズを覚えるというのは京都人に必要なセンス 、ウィット 、ユ ーモアなどを覚えるに等しい人生の必須科目でした 。白朮祭イケズ道中が大晦日の夜を賑わせていた時代 ― ―すなわち 《町衆 》が存在していた頃までは 、少なくとも 。理性や感性を磨き 、知性や教養を高め 、イマジネ ーションとその喚起力を養い 、なにより他人との距離勘を学び客観性を培う … …ことも可能な 〝ミヤコで生きてゆく 〟ための技術 。たとえば禅問答が曖昧で抽象的な言葉をもってモノゴトの核心にアプロ ーチするように 、文字では説明できない感覚を京都人はイケズの輪舞に乗せて継承してゆくのです 。』『「よそのおっちゃんがご飯全部食べてしまはったさかい 、今晩はなんもあらへんえ ー 。お貰いさんでもしてきよし 」そういう台詞を悪意なくサラっと言ってしまえる京都人には誰も勝てない 、もとい勝てても勝利感を味わえない 。ある意味でイケズは 、敗北を喫した場合を考えてのせめてもの 〝精神的保険 〟でもあるのかもしれません 。

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