公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

三木清

2015-10-01 20:44:35 | 今読んでる本
わが国の文化史を見れば、民間アカデミズムは、たとえば徳川時代の儒者の間にも国学者の間にも存在したもので、それがかえってその時代の真のアカデミズムであった。今日官学や講壇のアカデミズムの頽廃が見られるとき、民間アカデミズムの擡頭こそわが国の文化の発達にとって重要な意義を有するものではなかろうか。(『都新聞』一九三九年一月九日)底本:「現代日本思想大系 33」筑摩書房   1966(昭和41)年5月30日初版発行   1975(昭和50)年5月30日初版第14刷初出:「都新聞」   1939(昭和14)年1月9日



三木清の民間アカデミズムは翼賛運動に吸収されてしまったかのように消えた。戦争に負けることで消えてしまったようだ。哲学者の時局センスは寝ぼけたもので、元来内側に皮膚感覚を持ち痛痒を吟味する習慣の三木の責任範囲ではない。

しかし人生論ノートや哲学ノートは戦後も熱心に読まれ、私が学生の頃でさえ昭和二十年代の古本が豊富にあった。学生時代のたわいもない思い出だが、ヘーゲルを買うか三木清を買うか相当に迷って、小論理学を買った。大学が公務員の食券配給所に変わり果てる一方で、三木の民間アカデミズムは漫画文化に変わったが、営々と殿堂のないアカデミズムを継承した。其れができたのは、世界のどこにも無い日本式だろうと思う。
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