公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

なぜ能登の被災地が廃墟になるまで放置されているのか

2024-04-28 09:09:00 | 意見スクラップ集

外資導入復興モデルと領事館移転が視野にあると思われます。つまり能登の香港化による非関税貿易経済圏の建設 つまり売国を生業とする政治家の不作為の故意です。


何故か?それは能登地震が人工地震で、日本はここの施政を放棄しなければ、もっと人口の多いところでやると脅しを受けているからです。以上推測


 


この地図を見よ そして🇷🇺の爆撃機が一直線で能登に向かう演習を行った。
能登は
セバストポリか香港か
 
 
第二次世界大戦時、要塞化された同地に対してドイツ軍は80cm列車砲「ドーラ」、カール自走臼砲などを用いて攻略、占領したが、その後赤軍の反撃によりセヴァストポリはソ連へ取り戻された。(セヴァストポリ包囲戦 (1941年-1942年))
ソビエト連邦の時代には、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国内のクリミア州の一部としてではなく、キエフ(1954年以前はモスクワ)の直轄下に置かれ、外国人の立ち入りを固く規制する閉鎖都市だった。
ソ連時代に、クリミア戦争と第二次世界大戦での攻防戦の奮闘を讃え英雄都市の称号を与えられた。
ソビエト連邦崩壊後のセヴァストポリ軍港にはロシア連邦の海軍基地とウクライナ海軍の司令部も置かれている。ソビエト連邦時代はソ連の黒海艦隊の基地であったが、ソ連邦解体後の1997年にロシア・ウクライナ間で締結された協定により、2017年まで租借、また2010年に再締結された協定によりさらに2042年まで駐留が認められることになった。ウクライナが受け取る租借料は年間9800万ドルであり、そのセヴァストポリ軍港租借料はウクライナがロシアへ払うガス料金未納分を考慮して決められている。
 
 
 

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