公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

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見果てぬ夢―満州国外史 星野直樹

2022-01-04 12:23:00 | カウンター・グレートリセット


見果てぬ夢―満州国外史 星野直樹



(1963年)中古でさえ、62,000円もする。昭和の証言はますます高値になってゆく。図書館を回ってみようか。


国と言えば生まれ故郷のことだった。

「赤城の山も今夜を限り、生れ故郷の國定の村や、縄張りを捨て国を捨て、可愛い子分の手めえ達とも、別れ別れになる首途(かどで)だ。」
国定忠次

国定 忠治(くにさだ ちゅうじ、忠次とも、文化7年(1810年) - 嘉永3年12月21日1851年1月22日))は、江戸時代後期の侠客である。「国定」は生地である上野国(上州)佐位郡国定村に由来し、本名:長岡忠次郎

星野直樹
星野 直樹(ほしの なおき、1892年明治25年)4月10日 - 1978年昭和53年)5月29日)は、日本大蔵官僚政治家実業家満州国を動かす弐キ参スケの一人[1]として、同国の財政経済を統轄した。満州国において計画経済の「実験」を成功させた星野は、1940年1月の大阪毎日新聞に掲載された寄稿文の中で「満州の面積はの三国を併せたものに匹敵し、これに支那を加えることで日本の資源・食糧面でのアウタルキー(自給自足圏)は完成する」と記し、国民から賞賛を浴びる事となる。第二次世界大戦が終結すると、A級戦犯[2]として極東国際軍事裁判終身刑を宣告されたが、1958年に釈放され、後に東京ヒルトンホテル副社長、東京急行電鉄取締役、旭海運社長、ダイヤモンド社会長などを歴任した。著書に「見果てぬ夢―満州国外史」(ダイヤモンド社刊)等[4]がある。



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