公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

自由と幸福と生命

2024-05-04 03:36:00 | 意見スクラップ集

まだ人生に時間が残されているのならば、自分の幸福よりも他人と自分の自由を選んだ方がいい。もう人生に時間が残されていないのであれば、自由を下げ渡して自分の幸福を選んだ方がいい。なぜなら自由は次の世代のためのものだから。

 
 
アメリカ独立宣言前文に書かれている生命・幸福・自由の追及だが、この順番を混乱させると社会はカオスになる。
完全な未開というものはない。だが文化文明の媒介項の無いところに近代自然法を持ち込んでも、弱肉強食しか実現できない。事実アメリカは良い国ではない。生命・幸福・自由の追及という理念は歴史の浅い低級の理念である。低級の利点は運びやすいということ以外に看板になりやすいということだ。日本国憲法にもその看板はあるが、生命以外大多数の国民には無縁の理念である。
 

 
『われわれは、以下の事実を自明のことと信じる。すなわち、すべての人間は生まれながらにして平等であり、その創造主によって、生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられているということ。こうした権利を確保するために、人々の間に政府が樹立され、政府は統治される者の合意に基づいて正当な権力を得る。そして、いかなる形態の政府であれ、政府がこれらの目的に反するようになったときには、人民には政府を改造または廃止し、新たな政府を樹立し、人民の安全と幸福をもたらす可能性が最も高いと思われる原理をその基盤とし、人民の安全と幸福をもたらす可能性が最も高いと思われる形の権力を組織する権利を有するということ、である。』

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