公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

ヴィトゲンシュタイン 「語りえないことについては人は沈黙せねばならない」論究とその後

2019-01-14 08:09:13 | 今読んでる本

「語りえないことについては人は沈黙せねばならない」

ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン


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 後期のヴィトゲンシュタインはコムニケーションを言語ゲームととらえた。リアリティを媒介しているはずのコムニケーションが媒介ゲームであるとしたら、「狼が来た」という叫びを聞いた者には、狼が来たというゲームのスタート役となり、以降、リアル狼とは無縁のコムニケーションゲームの始まりとなる。
 リアル狼は誰も見ていない。このゲームに意識が乗れるか乗れないか、乗れれば、それがリアリティというものだ。もちろん狼は存在する。しかしこのリアリティに関して噛みつくリアル狼には責任が無い。沈黙しない事に責任がある。
 それゆえヴィトゲンシュタインは語りえないことを語ろうとするノイズを排除して論究(ヴィトゲンシュタイン前期)を完成させた。しかし後期には論及を語ること自体の虚構性を示した。
 現時点でわたしの個人的論究の心境はヴィトゲンシュタインの後期の心境に近いが、個人的関心は、存在論の空虚さが生命論の空虚さに直結していることに引き寄せられている。出発点である根源が空虚であるからこそ、言語ゲームは意味を強く必要としてる。同じように意味内実のない論理(情報科学のエレメント)というものが先行して宇宙に存在し、それは物質世界や生命現象も含めて、それらが宇宙になかった時代に情報マトリックス(計算だけの存在)だけが無数の実在ゲームを十分な時間をかけて試しつくしていた。私たちの世界はその後に生まれた論理実証の内実の展開過程に過ぎない。

従って常に意味//内実//質料はこの情報マトリックス進化(蓋然性の計算)の後からやってくる。故に物理学を含む人間の思いついた存在論は宇宙起源ではなく人間起源の論理的創作(情報マトリックス進化の頭脳による再発見)にすぎない。創作は創作である限りにおいて人間にとって無限であり自由な世界。つまり人間の自由も個人の自由も本来は創作過程ありきの人間起源の自由=虚無であるが故の内実実在探し(狼が来たというゲーム)なのである。

 例えば宇宙を無限と考えようと有限と考えようと影響にない実在ゲームもあれば、深刻な違いと考える実在ゲームもある。創造的な頭脳がある限り宇宙は無限であり、その人の一生限りの宇宙と考えれば宇宙は人間の有限の集合体である。科学の発展が示すように発見された”真実”は人間の創造とともに変化する。人間の自由なスペース<明鏡止水>は創造(情報マトリックス進化(蓋然性の計算)の頭脳による再発見)と供にあるが、しかし実存主義が主張するように、予め人間に自由は与えらてはいない。故に自由からの逃走などという失楽園的哲学探究は逆立ちした創作小説と同じ。

最後の絵を見て最初の絵を想像できるのは、最初の絵が見えていたから。これが人間の疑問構造(和歌の構造)である。答えの見える天才だけが真の疑問(情報マトリックスの扉を開く)を提示する。


Songsに出ていた宇多田ヒカルが言っていたけど創造的プロセスは喪失を出発点としていると、花束を君にについて言っていたけど。ああこの人わかっているなあと思う。普通何か基準がある、芸術の形相が、定規があると思いがちだけど、実はない。己の限定できない空虚を満たすために、問いと答えという往復する思考の形式があるというのが本当の自分の定義創造的自己のプロセス。芸術に限らずともゼロがゼロを定義する。アホがアホを定義する。これが純粋な思考であり、創造であり、この世における別世界(情報マトリックス)の確認による自己の存在証明なのである。


凡人の場合疑問は何事も導かない。むしろアホがアホを定義する。これが純粋な思考である。つまりアホの裏返しがライプニッツの予言的言説『私の言語の限界が、私の世界の限界』言語=数学と置き換えれば、より現代的な世界の限界の定義になる。これに思考の大きさが関係してくる。情報マトリックス進化は数学の創造によって人間の頭脳に写し取られる。

他方で非存在の連結(空集合を元とする関数群)が私達自身である。故に私たちは対象を無限に実体レヴェルで解明して分析できるわけではない。やがて因果の逆転(設問の非存在)に到達して沈黙せざる得ない。わかるかな。故にこれらすべての構造について私の確信の外に出ることはない。モナドは無限に独立しているのであるから。「語りえないことについては人は沈黙せねばならない」語り得るものはモナド函数の作用素にすぎない。

 しかしながら人間が狼少年よろしく「それ」を「狼が来た」と同じく創作ではないと、実在すると言い出す虚構で、意味不在の空虚を説明する必要悪(神の不存在の行為すなわち原罪)から解放されるが、それと引き換えに科学を含む論理の自由な未来は失われる(思考の天国からの追放)。世界の神の欠乏は、哲学風の偽哲学で代替して埋め尽くされ、死んだ知識と命題のベールに本当の空虚が隠される。
したがって全ての存在論は虚構の言い訳に過ぎない。では、この存在論追及の私の旅は無駄だったのか、そうではなさそうだ。この続きは生命科学の虚構へ。
ある日ドラッカーとマキャヴェッリという異色の組み合わせをブログテーマに選んだ。人間と経営の真に迫るというテーマで、メモ的断片で、まとめることはあえて避けながら開始した。語り尽くしたわけではないが、哲学は語れない領域まで来てしまい、それからずいぶんと時間が経過してその時の情緒が剥げ落ちてきた。創造のスランプ居着きが日常になり、近頃はいつも同じことを言っている。

《原点情緒への回帰》

自力で辿った
非所与としての自己の哲学しかり、自分のオリジナリティの原点情緒はなんだったのか?もう一度感じてみようと思う。哲学に限らずとも真剣な内省はゼロがゼロを定義する。アホがアホを定義する。これが純粋な思考。つまり思考予測誤差の総和(システム内部の自由エネルギー)が最大となる時の自己の定義宇宙が平衡状態にあるとき、系の部分系である思考ははどこをとっても平衡状態にあると考えるべきなのだ。これに気づいた時、わっと今までの思考がゴミに変わった。

内的モデルの特化の度合い=精度が最も低い状態の脳がすなわち予測誤差の総和の大きなアホである。これは自然界の法則に反している。自由エネルギーは最小化するシステム、特に平衡状態は安定である。脳に完全なる平衡はないが、予測誤差が最大化する方向に動的平衡が進むことも脳の仕組みに反している。他方内的モデル担当細胞がたくさんいる訓練された賢い脳は新たな概念の創発の邪魔になる(居付き)。したがってまっさらなチップによニューラルネットワークの物理過程が異なれば思考の結論も異なる。

参考:統計学の基礎 清水明

[平衡状態への移行]系をて(静的な外場だけはあってもよい)十分長い時間放置すれば,なマ クロ変数も時間変化しない特別な状態へと移行する.このときの系の状態を平衡状態 (equilibrium state)と呼ぶ.

[部分系の平衡状態もしもある部分系の状態が,その部分系をま孤立させた(ただし静的な外場は同じだけかける)ときの平衡状態とマクロに見て同じ状態にあれば,その部分系の状態も平衡状態と呼ぶ.

平衡状態にある系の部分系はどれも平衡状態にある. 

人間の動物より高い知性の原因としてこう言う研究がある 《According to the published study, “human dendrites provide limited excitation to the soma, even in the presence of dendritic spikes.” The compartmentalization changes the input-out properties of human neurons, which may play also role in our amplified cognitive abilities. 》Beaulieu-Laroche, Lou; Toloza, Enrique H.S.; van der Goes, Marie-Sophie; Lafourcade, Mathieu; Barnagian, Derrick; Williams, Ziv M.; Eskandar, Emad N.; Frosch, Matthew P.; Cash, Sydney S.; Harnett, Mark T..”Enhanced Dendritic Compartmentalization in Human Cortical Neurons.” Cell. October 18, 2018. つまりdendritesによる興奮の抑制、細胞の特殊化を遅らせることで、できる限り刺激から遠い細胞を特殊化して内的モデルを節約すること。これが動物と人間の違いだと思う。

いわばアホ(システム内自由度)を最大化(内的モデルの最小化)したものが抽象度の高い天才の思考による創発であるとさえ言える。これからは人間の賢さの多い少ないという個性だけでなく機械学習によるディープラーニングも純粋思考に加えなければならない。人間と機械の脳の違いはストレスがかかり続けると内的モデルをいったんキャンセルできるというところになる。

システム内自由度とは言わばワーキングメモリーの大きさ。これにはエネルギーが必要だ。そのために私たちに宇宙の恵みがある。アホと喰うということはこのように繋がっているのだ。

ここに言うアホとは無邪気な数値エンジニアリングである。無邪気な数値化に突破口がある。例えば最近の人工知能モデルが明らかにした錯視のコンピューター上での再現は、移動予測しようとする無機質なアホと有機的なことの頂点とも言える脳の予測のアホとが全く同じロジックで数値再現できている(錯視の再現がプログラミングできた)。故に時間は存在するのではなく、予測しようとする脳の無機質なアホが定義する、ゼロがゼロを定義した(脳内パラメーターに過ぎない時間を実在化する)脳内創造したものをあるというアホの好例である。

今最も哲学に近い数学をやっているにはwolframだろうと思う。彼は同世代の英雄的天才である。次に注目はgoogleの4億ドル10億のニューロネットワークで@ネコを発見するプログラムを実現したネコ論文のクォーク・リー。次はいわば機械版ヴィットゲンシュタイン(1*13 論理空間の中の諸事実こそが世界である)を発明したトーマス。ことばの背景にある概念(特徴量)を数字のベクトルに変換してわずか言語間の使用言語が違っても、その背景に共通する概念を通じて自由翻訳を実現。二人はどちらも機械学習の深層学習という無機質なハードの上に人間以上の高等動物にしか確認されていない言語知性の対象を発見した。しかし知性の対象を発見したからといって無機質なハードの上に知性があると証明できたわけではない。ここにもう一人日本人英雄が加わる。彼が人間は機械と同じ無機質なアホであることを証明する。基礎生物学研究所や立命館大学などの研究チーム「予測符号化理論 EPICモデル」$を組み込んだディープラーニングマシンを開発した中心人物サクラリサーチオフィスの田中健太博士。「蛇の回転錯視」は、研究チームの一員である立命館大学の北岡明佳博士が2003年に考案した錯視を安価な機械上で実現しただけでなく、その原因が脳の予測機能にあることを実質的に証明した。 註@ネコ ネコ論文《機械学習のほとんどは、ラベル付きデータの量に依存していた。キャットペーパーにより、機械がラベルのない生データでも処理することができ、そしておそらく、人間が予備知識を持たないデータですら処理できることが示されたのだ。これが、人工知能全体の大きな進歩につながった。》《註$予測的符号化(predictive cod-ing)の概念,つまり脳はさまざまな階層において内的モデル(inner model)を構築し,それにより形成さ れる予測と入力される刺激の相互作用からあらゆる機能を創発しているという考え方 これを予測的内受容符号化モデル (Embodied Predictive Interoception Coding model: 以下,EPICモデルと呼ぶ)》

註『$《脳は,感覚器官から入力される刺激に受動的に反応 しているのではなく,これから入力される刺激を予測する内的モデルを構成し,それによる予測と入力 された感覚信号を比較し,両者のずれ(予測誤差: prediction error)の計算に基づいて,知覚を能動的 に創発していると考えられる。こうした脳の働きを 予 測 的 符 号 化と 呼 ぶ(Friston, 2010; Friston, Kilner, & Harrison, 2006)。》』大平英樹エモーション スタディーズ(2017年)

では《どのように回帰しようと考えるか》

このように錯覚と真覚が入れ替え可能であることに気づきさえすれば、やっと一部の視覚の錯覚は人工知能の力を借りて錯覚が脳の予測機能の副産物であることが判明したのだが、脳の性質である心の自己関係(思い込み、信念、信仰、ドグマ、自分)をリセットすることはだれにでもできること。遠い過去の原点情緒はどのような価値ならば命を失ってもいいと思えるか、それが人間に可能な使命かということだった。どのように回帰しようと考えるか、ラベルのない生データすなわち瞑目である、最終的目的はやはり真覚との出会いであろう。考えるということは外部刺激の集合なしにはまったく定義できない空っぽの補集合。真覚は考える延長にはない。

故郷を離れ

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