公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

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世界最古の土器 最古の水田稲作は やはり日本

2019-02-21 08:30:00 | 日本人

青森県大平山元I遺跡(おおだいやまもといちいせき)で発掘された実質的に世界最古といえる土器(各種の年代測定により1万6500年前の物と判明)の発見から客観的に土器の発明は日本であったことは明らか。中国が後追いで発見しようとも現物証拠が盗まれたと抜かしている。


考古学の大学授業は南中国の土器が世界最古の土器と教えているが、国際的著作発表機会を中共支那に支配された欧米やその他諸々の研究者は無抵抗状態である。

大切なことは、氷河期が終わると文明の技術が水平に広がって行ったという世界が認める事実の方である。活動に必要な食糧貯蔵が可能なほどに生産力が高まらなければ、文明は水平伝播しない。余剰生産物とその水平交換の掛け算がゼロ増加になるところが文明の端である。

土器は人類の余剰時間を大きく変える焼くだけでなく煮炊きは(食物の煮炊きは消化と摂食に必要な時間を著しく短縮し、栄養価を高くした)先端技術であるから、その始まりにはiPhoneのように生産物と交換されただろうと思う。火をあてた痕跡の残る最古の土器も日本にある。





忘れてはいけないのは、イネが熱帯性あるいは亜熱帯性の植物であるということ。水田の発想は縄文時代日本が亜熱帯だった頃から温帯域に変わって、イネを観察していた日本の人が雨季と乾季を人工的に再現して見つけた栽培方法ということ。ずっと亜熱帯ではそうはならない。もちろん朝鮮半島経由ではない。


そのような文明(人類の余剰時間に比例する活動の総体)の基礎となる土器という火の使える容器の発明は火の利用の次にやってきた大変革だった。文化は高いところから低いところに流れる。

農耕とくに水田稲作は、より濃密な季節循環に適応しなければならず、人類の活動方法を計画的に管理する技術が必要になる。

私は水田稲作も日本の発明と考えている。なぜなら勾配地耕作は大陸よりも河川傾斜の急峻な日本にふさわしいからだ。縄文時代前期(約6000年前)の地層から、イネのプラント・オパール(イネ科植物の葉などの細胞結晶成分 SiO2・H2O)が大量に出てきている。それだけでは地層浸透が疑われたが、名古屋大学による分析方法の開発が稲のプラント・オパール中の二酸化炭素を炭素年代測定を可能にした。これによると暫定であるが6000年は軽く超える10000年以上前の数値も出てくる。この情報は消され続けている。


名古屋大学の研究によると、縄文時代中期から後期にかけての約5000年前から4500年前にかけて、日本の中部地方において水田稲作が始まったと推定されています。この推定は、縄文時代中期から後期にかけての土壌サンプルから採取されたプラントオパールの分析結果に基づいています。また、この時期の水田稲作は、中国や東南アジアにおける水田稲作よりも古いものとされています。


名古屋大学の縄文時代の地層から見つかったプラントオパールの年代研究については、以下の論文などが参考になるかと思われます。

- Y. Iryu, K. Hoshino, H. Kobayashi, and T. Horikawa, "Paddy soil formation during the Jomon period in the Aichi region, central Japan, inferred from soil micromorphology and phytolith analysis," Quaternary International, vol. 283, pp. 3-16, 2013.
- K. Hoshino, Y. Iryu, and H. Kobayashi, "Soil phytolith assemblages and pedogenesis in paddy soils during the middle Jomon period in the Aichi region, central Japan," Soil Science and Plant Nutrition, vol. 57, pp. 156-167, 2011.

これらの研究では、名古屋大学の縄文時代の遺跡から採取された土壌サンプル中のプラントオパールを用いて、縄文時代の水田稲作の実態や、その時代における気候変動の影響などが調査されています。具体的には、縄文時代における水田稲作の開始時期や、稲作における水管理の方法、そして環境変動が稲作に与えた影響などが研究されています。




稲のDNAも東南アジア由来であることが確認できるようになった。しかもDNA変異は日本で起こっている。ここまで証拠が揃うと定説大陸から由来説はどう考えても無理がある。

 

日本における現在の米の炊き方が一般的になったのは、江戸時代のころとされています。江戸時代には、米の炊き方を改良するための研究が進み、特に文化・文政時代(18世紀後半~19世紀前半)には、炊飯器の原型となる「炊飯釜」や「炊飯道具」が発明されました。

これらの炊飯釜や炊飯道具は、米を炊く際に水と米を正確な比率で計り、火力の調整をすることで、一定の水準で美味しく炊き上げることができるようになりました。また、江戸時代には、米の研ぎ方や炊き方を伝える書物も多く出版され、庶民の間でも米の炊き方が広まったと考えられています。

現代の炊飯器は、電気式のものが主流ですが、炊飯釜や炊飯道具の発明以降、炊き方に関する改良や工夫が続けられ、現在に至っています。


江戸時代に出版された米の炊き方に関する書物の中で、代表的なものとしては以下のようなものがあります。

- 『御飯物語』 - 17世紀中頃に成立した、米の栽培から炊き方までを詳しく解説した書物です。
- 『御炊合方』 - 17世紀後半に成立した、米を炊く際の水の量や火力の調整方法などを詳しく説明した書物です。
- 『炊飯法』 - 18世紀に成立した、米の研ぎ方や炊き方を詳しく解説した書物です。
- 『御炊飯新法』 - 19世紀前半に成立した、米の研ぎ方や炊き方の改良を提案した書物です。

これらの書物には、米を美味しく炊くための秘訣やコツが詳しく記されており、庶民の間でも広く読まれたとされています。また、これらの書物は現代にも伝えられ、米の炊き方に関する研究にも活用されています。



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