彼の遺書にはこう書かれていた
今日世界に自由主義國家はどこにもない。我等の尊敬するイギリスさえ統制主義國家となり、アメリカまた自由主義を標榜しつつ實質は大きく統制主義に飛躍しつつある。日本は世界の進運に從い、統制主義國家として新生してこそ過去に犯した世界平和攪亂の罪を正しく償い得るものである。
石原莞爾の言う統制主義とは計画経済と軍事戦略を地政学に合わせた自立論だが、国家の生存条件をその世界的趨勢の中で最も優れて現代的デザインにするという発想は明治維新以来一貫して日本国が追い求めたものであり、その切望の理由は大国からの圧力と侵略脅威という明確なものでした。石原莞爾はシステムの差が競争力の差となって国家存亡を決定するという視点から遺言を残した。
石原莞爾『この裁判は我が国を国際戦時法にて裁いているが、何処まで遡り裁判をしたいのか』裁判長『日清戦争迄遡りたい』石原莞爾『それであれば貴国のペリー提督を呼べ我が国を開国した責任が有るのでは』
長い平和の末に国家を最新の状態にアップデートしてゆく発想がすっかり失われて、古い使えないものに固執する官僚制度や財務省支配のためにのみ残している姿は江戸幕府の末期を見るようで情け無い。150年の中の最後の平和70年は確かに全体としては初期の20年のことを薄めてしまうほどの重みを持つ。
今日私は、東亞連盟の主張がすべて正しかつたとは勿論思わない。最終戰爭が東亞と歐米との兩國家群の間に行われるであろうと豫想した見解は、甚しい自惚れであり、事實上明かに誤りであつたことを認める。また人類の一員として、既に世界が最終戰爭時代に入つていることを信じつつも、できればこれが回避されることを、心から祈つている。しかし同時に、現實の世界の状勢を見るにつけ、殊に共産黨の攻勢が激化の一途にある今日、眞の平和的理想に導かれた東亞連盟運動の本質と足跡が正確に再檢討せらるべき緊急の必要ありと信ずる。少くもその著想の中に、日本今後の正しき進路が發見せらるべきことを確信するものである。
最終戦争時代はなくなったのではなく、戦争の地平線が遠くなっただけである。より巨大な最終戦争時代の中にわたしたちは一見平和に生きてきた。それは虚構の中の平和だった。