同時代に天才を目にすることはほとんどない。目にしても凡人には理解できない。たまにすごい人を見かけるが、どこか行き詰まっている。
この世は凡人のために作られている。天才には住みにくい。
モーツァルトを幸運にも目にした人はその才能を理解できても、何故と思ったことでしょう。
この世に適合性の高い順調な天才など滅多にいないのだ。
それゆえに新しい分野に天才は追い詰められるように仕事を残してゆく。
私が天才と思う同時代人は、岡本太郎。手塚治虫。努力している姿を見せない人、短時間でも他人の数倍深いことができる人、そういう人が天才だが、数多いるそういう天才とは違う天才が田中角榮。構想力は岡本太郎や手塚治虫と同格だが、社会の中に浸透する水平突破が尋常でない。岡本太郎や手塚治虫を恐れる人はいないが、死んでもなお田中の勢いが止まらない。北海道新幹線がそのいい例だろう。天才には垂直型と水平型がある。垂直型は才能があれば生まれるが、水平型は才能に時代がついてこないと生まれない。世界に恐怖心を抱かせた天才が田中角榮。米国が種を蒔き司直が育ててマスコミが政治家を刈りとる三位一体が完成した。恐怖心を抱かせるほどに偉大な政治家だった。