公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

勝谷無期限終了

2018-11-28 09:19:00 | 日記

肝炎だけではなくてアルコール依存者になったらしい。ジャーナリストとして終了だな。文字になった勝谷を信じよう。後日アルコール妄想でしたと言われたら引用のしようもない。

灘中高の同級生は優秀だと自ら言い始めたあたりから、勝谷はダメになったなと思っていたが、黄疸になったあたりで周りも気づけと言いたい。彼はたぶん三つぐらいつらいと思うものが重なったのだろう。一つは書けない事、行動できないこと、いつのまにか反日に組みしていたこと。偽悪的選挙活動もそうだったが、自分の無力化から目をそらし続けるためにアルコールが手元にあるように動き続けた。



と、しばらく前に書いたら、亡くなった。自殺に近い病死だと思う。最後の二日は呼吸器をつけていたという。



コラムニストの勝谷誠彦さんが28日未明、亡くなった。享年57歳。関係者が明らかにした。勝谷さんは8月22日に腹痛を訴えて緊急入院。2007年1月から毎朝続けてきた有料配信メール日記を初めて休載し(配信は代筆で継続)、劇症肝炎の療養に入っていた。その後、一時退院したが、10月下旬から再度、療養生活に入っていた。



勝谷さんは1960年、兵庫県生まれ。早稲田大学在学中からフリーライターとして活動し、編集プロダクションを設立。1985年に大学卒業後、新卒入社した電通を数か月で辞め、文藝春秋に転職。花田紀凱氏が当時編集長だった「週刊文春」の記者として活躍した。文春時代は、フィリピンのマルコス政権を民衆が倒したエドゥサ革命(1986年)や、三井物産マニラ支店長誘拐事件(同)、湾岸戦争(91年)など海外の歴史的事件を相次いで取材。また、在籍当時の週刊文春は、1989年の東京・足立の女子高生コンクリート詰め殺人事件で、犯行に関わった少年グループの実名報道に踏み切ったことが社会的論争を呼んだ。



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