環境(Environment)、社会(Social)、ガバナンス(Governance)といった非財務情報 ESG
似たような言葉SDGsとは「Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)」の略称SDGs(エズ・ディー・ジーズ)と発音するのに違和感あり。せめてSDGs(エス・ディー・ジーズ)だろ
例えば
《資生堂グループは、100年先も社会とともに持続的に成長し、世界中のステークホルダーから支持され、必要とされるグローバルビューティーカンパニーとなることをめざしています。そのためには、「美しい生活文化の創造」という企業使命のもと、社会と資生堂が共に持続的に成長することが重要と考えています。
当社を取り巻く世界の社会課題・環境問題、特に国連が主導する「持続可能な開発目標(Sustainable Development Goals:SDGs)」に積極的に取り組み、長期的に健全な社会を形成しつつ、資生堂の持続的成長を図ってまいります。
資生堂グループでは社会課題・環境問題の解決と、事業の成長拡大の両立をめざす成長戦略としてサステナビリティ戦略を位置づけています。》
と開示される。ここに見るESGの下位概念SDGsがなんらかの権威の下にあるという正義原理主義である。表面的なESGの採用である正義原理主義は、権威を認めれば内容を考えなくていい便利さがある。西欧にはそういう正義認識1(予言的必然性の認識)が何度も現れては消える、終末思想とアニミズムの戦い、カタリ派ことアルビ派(アルビジョア派)グノーシス主義(二元論)と正統派西方教会との対立、十字軍遠征、プロテスタントとローマカトリックの争いは猖獗を極めつづける理由には収奪による生存利害動機があった。マルクス・エンゲルスの予言も含め正義認識2(自説に社会的発展必然性があるという個別利害の正当化)の欺瞞を命の限り批判することができなかった。これら必然認識の確信を根拠とする正義は獣の正義である日本人は戦争に負けてから獣の正義を撃ち殺す覚悟を詩とすることができなかった。気候変動でスタンドプレーをしたマクロンとアマゾンの森林火災の関係もうさん臭く見えなくもない(見えるとは言わないが証拠はつかみにくい)。