ハマスのイスラエルテロを支持する声が世界に充満している。ちょっと信じられないが、イスラエルの赤ん坊の首を切れと言っている。とても自分がその場にいたら受け入れられない異常な運動が彼らの中で正義化が可能な訳
それはテロ支援という正義の信者の手によっても継承し難いものをハマスの中に金、つまりマスメディアの歪んだ画面とともに捨てることで継承しているからだ。
「東西に共通して、世間とは安定を選ぶシステムで歴史の中に根強い継承を求めるので、継承しがたいものは別世界に排除する。もう一つの捨てる世界を持つという発想が現代に継承されているのがテロリズムだ。他方で凡庸の強制というポストモダニズムが現代世間の特徴でもある。テロリズムとポストモダニズムは隠された二世界主義が表裏一体で現代世間を醸していることの帰結なのだろうと思います。そうは言っても、これは人間の研究のための一つの仮説に過ぎませんが。」
【ワシントン時事】米ネットメディア「アクシオス」は7日、バイデン大統領がイスラエルのネタニヤフ首相に対し、イスラム組織ハマスが拘束している人質の解放のため、3日間の戦闘の一時停止を要請したと報じた。ただ、ハマスへの不信感などを理由に、ネタニヤフ氏が応じなかったという。
バイデン氏は6日、ネタニヤフ氏と電話で会談し、戦闘地域からの市民の安全な退避や人質解放を可能にさせることを目的に「戦術的な戦闘の一時停止の可能性」について協議した。バイデン氏はこの会談で3日間の戦闘停止を要請した。
アクシオスによると、米国はイスラエルのほか、ハマスとつながりのあるカタールと共に、3日間の戦闘停止の最中にハマスに10~15人の人質を解放させ、拘束中の人質の名前のリストを提出させることなどを検討している。
一般論はさておき、ではイスラエル・ハマス戦争は停戦できるのかということを経済指標から考えてみよう。2023/11/07、米国証券市場NASDAQで362.14Microsoftの株価が高値になった。市場金利は十分に米国債下落が織り込まれて利上げは必要としていない状況だが、FRBはさらなる利上げの含みを取り下げない。ただミネアポリス連銀のカシュカリが米国経済の強さから年内利上げを主張している。
ニール・トゥシャール・カシュカリ[1](1973年7月30日生まれ)は、アメリカの銀行家、経済学者、政治家であり、ミネアポリス連邦準備銀行の頭取を務める。2008年10月から2009年5月まで臨時財務次官補(金融安定担当)として、2007~2008年の金融危機に対する米国政府の主要な対応策である不良資産救済プログラム(TARP)を監督した。共和党員で、2014年のカリフォルニア州知事選に出馬し落選。
カシュカリもビルゲイツもKMの下僕だということを踏まえておこう。問題はイスラエルやハマスの背後にいる金主KMが十分に稼げたかどうかで手仕舞いか否かを測ることができる。すでに問題の中心はバイデンやオバマ、ネタニヤフの手を離れている。G7外相会議の「停戦なき一時停止」(その意味はガザに取り残してきたエージェントの回収)勧告の効果に重きを置くことは、操り人形が人形遣いを動かすなどという馬鹿げた妄想に匹敵する。
金の卵である高金利と株高(おそらくNASDAQ: MSFTを400ドル、時価総額で3兆ドル、まで持って行きたいのだろう)をできる限り長期に併存させる(売りポジションを膨らますことによって、債券価値をあえて毀損する、その合言葉が Highter for Longer)ためにインフレは必要なので戦争はペルシャ湾まで拡大し続ける。このままでは米国政府の軍事力の信用は回復不可能なレベル(空母打撃群のキンジャールによる無力化)になる。KMは自らの私兵ネットワークによって原油を支配するために、米国の撤退を望んでいる。その最終的目的は自由競争経済の根絶(二度と資本主義工業社会が甦ることのない様に人類の持つ知識から成長力を根絶する、新しい歴史 新しい家族 新しい神)全世界エネルギー分配を支配するということ。
なぜテロを継承したいのか?それは中世に森が必要だった理由と同じである。
中世の教区は深い森の中に飛び飛びに分布していた。強要したい普遍的価値つまりキリスト教が優勢(他は邪教迷信)となった中世欧州ではローマカトリックの権威による収奪の正当化守護しているという幻想が必要だった。 現代も同様にグローバリゼーションの強要による各国企業個人のコスト収奪のためには森のような恐怖が国・企業・個人の周辺に必要になる。温暖化水没恐怖もその一種。
テロは中世における森の恐怖の代替と考えてみればそれを賞賛する者たちを理解できる。日本人には無理があるが。
西欧社会に変わることのない「隠されたニ世界」が支える普遍的価値観の強制がある限り、この古い脳上皮の恐怖ロジックがその度に甦る。森に捨てられるくらいなら守護神を拝んでいたほうが良い。野蛮で調和概念のない西欧は常に原始的な恐怖の領域を価値と信じるものの周りに必要としている。
人間どうしの調和と自然と人間の調和という深い平和文化は日本人にしかない。特に一神教とは融和できない根本の理由が隠されたニ世界主義の突然の正義化として現れることにある。