石原信雄さん死去 87~95年、歴代最多7内閣で官房副長官
毎日新聞2023/1/31 22:46(最終更新 2/1 09:18)
《政治改革は永遠の課題かもしれないが、失敗すれば国政そのものを劣化させ、国民を不幸にする。小選挙区制の導入が決まってから今年で四半世紀を数えた。小選挙区制がもたらした政治の劣化をどう考えるのか、国民レベルで真剣に議論する場ができることを期待したい。
橋本内閣の省庁再編で意見を述べる機会を得た。私が官邸にいた時代は各省の力が強く、政権の方針に沿って協力してもらうには各省と話し合うしかなかった。そのため政治主導で政策を実行するには内閣機能強化が必要だと申し上げてきた。
01年の省庁再編は省庁の数を減らすことにこだわり、行政分野の責任体制が曖昧になってしまった。特に内閣府はいろいろな行政分野を集め、担当大臣が複数いて、いわば雑居ビルである。省庁の数は増えても責任の所在を明確にすべきだ。今ならIT省があってもよい。省庁再編は不断の努力が必要である。
14年から官邸が各省幹部の人事権を握り、官邸一極集中の政治主導が強まっている。政治主導は政策の重点を政治が決めることで、それと行政の公平性・中立性は別の話である。法治国家は法の下の平等が原則だ。支持政党や思想にかかわらず、同じ要件の人が行政から受ける恩恵に差があってはならない。》
石原信雄 私の履歴書より 『行政の公平・中立 堅持を 政治の劣化、国民的議論の時』
2019年6月30日 6:00
われわれ日本人は国家というものを教育される機会がない。たぶん石原もそんなことは役人になったエリートが知ればいいことであると思っている。テレビで政治部記者の解説を聞いて国家を知っていると誤解をしているようでは永遠に政治改革などできない。政治改革の前に必要なものがある。それは政治と国の関係、国家は経営である。つまり国政と石原信夫氏が述べている国家活動の品質管理である。
石原信雄がここに国政と言っていることは、本来は国家と言うべきところである。そう言ってはいけない自重症状が日本の行政者の病気と奇形である。政治家は国家改造を言葉にすると国家主義者のレッテルを貼られることを極度に恐れている。国家は経営である。日本の国家活動の品質管理を通じた国家改造の要点は単純明快である。日本人の知力の向上を通じて、国民経済を交易条件の変化(時には予想も含まれる)に順応させて、国民経済を成長させる。これに尽きる。国家は経営である。国民経済のサイズが大きくなればより多くの国民を養うことができる。人口が増えれば教育の競争が自然に回復する。日本を悪くしたのは教育の競争(知力の向上)をやめてしまったことにある。ここで言う教育とは学校や受験の時だけの教育ではなく、行政と企業の担い手に施す教育とそれによる知的競争である。明治維新にあって今ないものは、熱い知性をぶつけ合う言葉の戦いです。
富国強民に必要な舵取りが柔軟な環境適応を支持する政治という限りで政治改革(手術)は必要であるが、それ(手術)は目的ではない。目的を定めるには国家をどちらに向けて行くかという国家観を教育し、国家活動の品質管理がなされなければならない。富国強民の基礎は国家のための交易条件が何であるかを国民が知ることである。交易条件を左右するのは内政の守旧癖と外政の実力行使。その修正ために今何が必要かを考える力を養うこと、まずは経営の基本知識が必要であるから、言語、数学、プログラミングだけでなく、真実の歴史を明確に国民が共有する必要があるのです。