今どきの社会に対する違和感のほとんどが居心地の悪さ、トポスの喪失。言葉の中に含まれる侵掠の強弁である。
いわく
インクルーシブな新しい共生を通じた多様性豊かなダイバーシティ社会を実現する小池百合子です。
やたらと新語を取り込み、結局やりたいことは多くの既存の人を追い出して、利害を同じゅうする仲間のNPO組織に割り込ませるということで
トポス交換を上からやろうとする全体主義の匂いが今の社会の変わり方に対する私の感じる違和感なんだろう。
近代の自己分裂は内的なトポスの移動が主因だったが、現代の自己分裂は全体主義が強制する外的なトポス移動になった。
これは驚くべき時代の断層である。と同時にインクルーシブな姿勢を強調して文化を消去すし始める政治家が誕生するという悪魔誕生のような事態 これらが現実に起こっていることに西部邁(にしべすすむ)ではないが政治に絶望する。
『自分を点として◇の図形の真ん中付近に置いてみると、どのように左右が伸びようとも自己像は変形されても本質的包摂関係は変わらないというのがトポロジーである。
難しいことではないが、変わらないことが難しいのが生身の人間というものだ。
試しに◇の左半分を切り捨てても同じ自分であるが、果たして切り捨てられた左半分の中に自分の点は含まれていないという確信があったかどうか後になって後悔することがほとんどではないだろうか。恋愛などはわかりやすい例だろう。学問においても仮説を捨てるということは同じく苦しいことである。しかし苦しいと感じる人間はまだまともである。現代人は自己分裂に気づかないふりをして不本意な会社勤めや役人や政治家をやっている。だから自分のトポスを捨てたことに無感覚でいられるのだ。』
西部 邁(にしべ すすむ、1939年〈昭和14年〉3月15日[1] - 2018年〈平成30年〉1月21日[2])は、日本の評論家、経済学者、保守思想家。東京大学大学院卒業。秀明大学教授・学頭、東京大学教養学部教授、隔月刊誌『表現者』顧問を歴任。
北海道出身。東大入学後にブントのメンバーとなり、東大自治会委員長として安保闘争に参加した。安保闘争から離脱後は東大大学院で近代経済学を専攻し、横浜国立大学助教授、東大助教授、英米への留学を経て東大教授となる。1980年代から保守の論客として活躍し、東大駒場騒動の際に東大教授を辞職。それ以後は在野の評論家として評論活動を行った。2018年に多摩川にて自決する。