公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

切り取りダイジェスト 同窓会のあとに思うこと

2023-03-20 07:02:00 | 意見スクラップ集

写真は無関係ただのタイムスタンプ


最近同窓会があって銀座に出た。コロナのため三年開催できずにここまで日延してきた、久しぶりの多人数会食である。
メンバーは高校の三年間の同級。ずっと一緒に教室でふざけていた。そんな思い出やクラスに二人しかいない女子にどうやって接点を探したかなどが話の華だ。人生の中で一番可能性のある時代にどういう文化や教養にであうかも重要だが、男女の出会い以上に生涯心に残ることはなく、その人にとっては一生の宝物、あるいは一生の後悔だろう。
 
いつも同窓会が終わりしばらくすると思い出すのが、やはりその当時気になっていた人が今頃どうしているのだろうという答えのないぼんやりとした気分と、今の自分だったらあの時はこうしたかもしれないという未熟さの後悔である。すでに亡くなったと人伝てに聞いた娘もいる。
 
その次に思うのが、人間というものは自分の都合に合わせて記憶したり忘れたりしているもので、
毎度のことながら、たしかにあの時そうだったなあという逸話に出会う。
 


 
男女の出会いについて何も思い出せないのはそう言う男女の発展が高校生の自分にはなかったということだ。
 
しかし思い出したことがある。小説家ではないので筆にもできないが、いやちょっと口にできないことだが、高校の中庭での文化祭の準備作業というのはある種の非日常で。理由もなく男女共に若い身体が、ざわざわしていた。特に暇な高校二年生の時。
 
住んでいたのが街の中でも貧乏人ばかりのエリアだったせいか、貧乏で惨めな思いをしたことはなかった。いい暮らしをしている家に呼ばれ菓子をいただくことはあっても、同じでありたいという性質の期待を家族にしたことはなく、それでチャンスが失われているとは感じられないそういう空間にいた。もし進学高校に行かなければ、地元の金井漁業あたりに入れば十分だと思っていただろう。高校進学が多少心に火をつけてこの街を出て行こうと思った。同級生達の文化的常識とのギャップが何か研究心を動かしてフィールドワークがしたいそう思っていた。
勉強もそうだったが、自分には特段得意な学科分野もなければ、家には予備校に行ったり高価な添削教材を買ったり、浪人して予備校で勉強し直す余裕は無かった。

高校に入学して二年生になり同級生が遊び始めても、それまでと変わらず同じようしていたら、自然に成績順位が上がって行った。

こんなものかと慢心していたら、三年生は下から数えた方が早かった。。上昇理由はこの時点で皆遊びに夢中で本気を出していないからだった。
 
受験に関しては絶対に予備校浪人を前提とすることはできなかった。つまり本当にやりたいこと、わずかな絵に対する気持ち、自然の中に答えを探したい気持ちを進学とを両立するには何をしたら良いのかずっとわからなかった。况や職業で勝ち組の医師業界に入るなど考えてさえもいなかった。


ヒルビリー・エレジー DJ・ヴァンス著

 
 
受験に失敗した場合は高卒資格で地元釧路の漁業会社就職もいたしかなしの三年目だった。
 
それゆえに出した答えは農学と水産学、特にサケマスの海遊と母河川帰還の不思議を研究してみたいということ。それで北大理類をやめて絶対落ちないだろうと思っていた北大の水産を選択した。

そういう安易な高校時代だった。

つまり捨てられるゴミが自分の教科書であり、オモチャだった。捨てられるオモチャの修理も勉強になった。学校なんかよりよほど面白い。これが教えることは。以下の通り。
 
この学びのやり方はランダムだから、体系的に初級からやってはこない。いきなり応用編だ。マンガ本も続き物では読めなかった。先が読めない。想像するしかない。

初級編がない、先が読めない。まさにそれが人生である。子供にとって、このやり方のアクティブラーニングは最初は苦しいが、平凡社の国民百科事典も手元にあったし、これで調べるのが面白くて隅から隅まで読んだ。この方法は生涯続けることが可能である。しかしずっと無免許運転の人生という負い目は残る。

詮索好きな今の読書姿勢にも子供の頃の体験が関係している。初級編が無く、先も結末も想像するしかない人生は、ベンチャーにも言える。昔の社会主義者はこのように労働を描いた。

『労働力は今日の社会機構では労働者のものではなくて資本家の所有である。 少くとも役に立つ労働力はそうだ。戸坂潤<社会時評>』より

はたして其のような労働疎外はベンチャービジネスに当てはまっているだろうか?初級編が無く、いきなり応用問題が立ちはだかり、その仕事の先も想像するしかない労働を続ける意欲は、働く者に内在したものでなければ持続しえない。だからベンチャーの労働力は依然として労働者の所有なのだ。

結局大学には入学後すぐに期待を裏切られるが、それは1977年入学してすぐの4月。サケのフィールド研究など大学ではできない。大学院に進んで公務員になって試験場に入ってそれから無限に目標が見えなくなる。

そんなとき2年生になる前に親が丸ごと釧路を捨てるという。なんのために水産を選んだのか、全ての選択が無意味になる。
 
青春の挫折の始まりだった。仮面浪人して大学を変えることも考えたが、受験勉強がよくわからずなんとなく運で合格した自分には再受験にも自信がなかった。事前情報がない、世間を知らないとは怖いものだ。
 
そんな挫折よりも私に最も欠けていたのはなんのために大学を卒業するのかという世間常識だった。世間の本音は有利な就職のために大学にゆくことが常識。他方で私には、生涯所得を高くするために大学に入る現実的動機投資とリターンがまだ理解できていなかった。
今は生涯所得を上げるために大学入学が必要な時代だろうか?

 

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受験勉強は実力テストのようにしか思っていなかった。楽しい勉強しかしなかった。
 
 
少し変わった勉強法だが、私はこれを勉強ではなく楽強と呼んでいる。勉強は嫌いではないのだが、傾向と対策、過去問近道や競争はしたくなかった。合格するなら圧倒的に合格したかった。

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