鍛造装置がこんな爆発的破壊をもたらすかな?
天保十三年十一月「感応公に上りて当今の要務を陳ず」(海防意見書)『海防八策』
一、 諸国海岸要害の所、厳重に砲台を築き、平常大砲を備え置き、緩急の事に応じ候様仕度候事。
二、 阿蘭陀交易に銅を差し遣わされ候事暫く御停止に相成、右の銅を以て、西洋製に倣い数百千門の大砲を鋳立、諸方に御分配之有度候事。
三、 西洋製に倣い、堅固の大船を造り、江戸御廻米に難破船これなき樣仕度候事。
四、 海運御取締の義、御人選を以て仰付られ、異国人と通商は勿論、海上万端の奸猾、厳敷御糾し御座あり度候事。
五、 洋製に倣い、船艦を造り、専ら水軍の駈引習わせ申度候事。
六、 辺鄙の津々浦々に至り候迄、学校を興し、教化を盛んに仕、愚夫・愚婦迄も忠孝・節義を弁え候様仕度候事。
七、 御賞罰弥(いよいよ)明らかに、御恩威益々顕われ、民心愈々固結仕候様仕度候事。
八、 貢士の法を起し申度候事。
先覚者 佐久間象山は孤独だった。
この八策ペリー来航はるか十一年前の献策です。教育強化と家庭の安定その上での国防と国民経済。国富の漏出を止めて次なる社会を建設する気概こそが国防の気概。
所争不在米塩
頼山陽
信玄国不浜海。
仰塩於東海。
氏真与北條氏康謀。
陰閉其塩。
甲斐大困。
謙信聞之。
寄書信玄曰。
聞氏康氏真困君以塩。
不勇不義。
我与公爭、所爭在弓箭、不在米塩。
請自今以往。
取塩於我国。
多寡唯命。
乃命賈人平價値給之。
(日本外史)