私のテーマは自己の哲学(自己は己のことではない、一般概念としての自己)であり、それが生涯のテーマだが、自己というものが、宇宙であれ、神であれ、人間であれ、金魚であれ、ある時、無から生じたということは疑いの余地がない。神もまた自己を認めるまでは無であった。その認める仕組みを人間は意識というが、言葉だけでは言い換えの自己撞着に話が尽きる。もっと抽象的な意味で自己を認める仕組みの発生(関数の成す自己関係)はないものか?
私は意識を一種のソフトウエアと捉えて、意識という言葉のブラックボックスを経由せずに、数学と物理学を背景とした自然史哲学に自己の哲学を発展させたいと考えている。
量子もつれの履歴差が関わる。履歴差が無生物のランダムを後戻りできない生命のランダム、躍動に変える。生命はそれゆえ情報の躍動であり、その原初は関数である。
スピン交換結合操作2つの電子がトンネル効果で結びついている時、量子力学的には両者を入れ替えようとする相互作用が働く。電子の状態には軌道成分とスピン成分があり、スピン成分の入れ替えを与える相互作用をスピン交換結合と呼ぶ。この交換結合が強いほどスピンの入れ替え時間は短くなる。
履歴差の科学にはまだ大きな発見がない。量子もつれの連鎖が無生物というか全くランダムな世界を有機的クラスター分解していったと思われる。
有機的クラスター分解は瞬時に全宇宙に起こった。有機とは入力&出力演算可能という意味。
長い連鎖クラスターほど大きな情報であり、短いクラスターは時間をかけて長いクラスターと一体になってゆくたびに単純な演算(スピンオセロ)を行うことで取り込まれてゆく。
ここにクラスターの成長に初期のサイズ効果よる履歴差が生じたと仮定してみよう。履歴差が生じると演算層が多層化(スピンオセロからスピンフィルター)に差が出て知能の高度化に発展する構造が宇宙に生まれる。演算層の多層化スピンフィルターは宇宙に自己自身の観察(自己非自己ゲーム)基盤を与えて演算の上にソフトウェア構造を固定する(量子もつれのソフト化)と予想する。
故に生命が生まれるよりも遥かに先に宇宙のランダムネスの有機的クラスター分解から生まれたソフトウェア、知能は無数走り出していたと考えるべき。