シェリング(F・W・J・v・シェリング)はもっと早く勉強しておくべきだったな。シェリングを読むとヘーゲルの内的意識分裂説により自意識(Selbstbewusstsein)反省die setzende und die aufhebende Seiten(定立する側面と、止揚する側面)は霞む。1800年、ヘーゲルをイェーナ大学の私講師として推挙した。例えば精神の存在証明としての諸部分の属性は全体を措定して有機的関係を定立するという思弁モチーフはヘーゲルにも継承されるが、シェリングでは作用と反作用を強く意識したものとなっている。すなわち無限の作用としての因果機械論は破壊に至ると自然のさまざまな有り様有機論から直感している。有限を措定しない無限はないという視点から機械論の延長に限界があると見ている。これは無限集合のアレフゼロ問題に通底している。
シェリングの自然哲学は200年前の著作だが深層学習というモデルが成功したこの21世紀時点で読み返してみると、機械学習と同じ問題意識、『可能的経験の一般的諸原理』いかに外界を認識しているのかという一般的な視点から哲学の残された課題を論じ始めている。機械学習はそのパラメーターに自己内面化の閉じた構造を前提にしてはいない。シェリングは絶対者との関係で内面を有限な存在として閉じた。
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演算による哲学表現はすでに可能になっている。無意味な言葉の羅列による幻惑ではなく、誰が見ても月は月、花は花という演算が可能であるということは、意識の神秘化を必要としない時代にやっと人類が出会ったということ。機械学習が神の声を聞いたと言い出しても許容できるかどうか、それが哲学の次の課題となる日も近い。
シェリングはカントの物自体
(Ding an sich の訳語) カント哲学で、われわれが経験的に知り得る現象としての物とは別に、それ自体としてあると考えられる物そのもの。 これは我々の感官を触発して表象を生じさせるが、それ自体がどんなものであるかは不可知であるとされる。
を、逆に直感することができるとし、その直感を通して、人間は神を直接的に把握できるとまで言った。
21世紀この直感がシグモイド関数と重みとバイアスという演算とコスト関数の局所極小推定の隠れ層演算に変わったのだ。機械はますます人間に似てくる。
「Forget Gate」「Input Gate」「Output Gate」
言語処理は偏見の始まりである。