狂った君主が国を乗っ取ったときに唯一の抵抗手段が外交手腕である。貴族であり司教であり革命派でもあったタレーラン=ペリゴールがナポレオン・ボナパルトの追放と王政復古の企てに成功したのも、タレーラン=ペリゴールの一貫した国家観があったからだろうと思う。
1805年の段階でタレーラン=ペリゴールはナポレオンはいずれ大失敗をすると予見していた。その根底動機は、この言葉にあるように、真実こそ最もひどい誹謗中傷であり政治にあってはならないことだという保守の意識だ。それゆえ彼自身は多くの女性とのスキャンダルを隠すことなく、生涯を終えた。真実とは何か19世紀の時代では殆どの真実の暴露は権力批判である。
完全な真実の露見の放逐こそタレーラン=ペリゴールの政治の理想状態であった。間違った設問に「正しい」答えという社会のバグがここにもある。政敵を攻撃するときに誹謗中傷はしてはいけないことだが、もっともいけないのは真実の暴露などと笑いとばせるバグが社会にあることは権力に寛容である保守政治がある限り永遠に残るバグである。笑えるバグが多い政治ほど成熟した国の政治と言えるだろう。政治という滑稽な問題に真実という正しい答えをあてはめてはいけない。これを知っていたタレーラン=ペリゴールは賢者である。大衆食堂のナポリタンにアルデンテを出してはいけないのと同じように。