私には郷土愛が無い。故郷は貧困から抜け出すロケット発射台のようなものだった。多くの有望な若者は皆ここを捨てて出た。早く忘れてしまいたい左翼の土地が釧路だった。目を瞑ると沖で親鯨が泣く砂の浜辺仔鯨を解体して其の夜火事になった水産加工場のあかあかと輝く夜の煙が魚臭い釧路の一番の思い出だ。そういう利害に無慈悲な土地柄だった。
そのような不安定で出口の無い経済空間と縁を切るため、早く脱出するために、忘れるために早くからの飛び出す覚悟の形成は少年の必然で、そういう自分に故郷を愛した記憶がないのは当り前のこと。諦めないことと故郷に無頓着なことはセットだった。
阿寒の山の遠い稜線やカモメやキツネの世代を重ね変わらぬ風景のように変わらない自然を見つめることは出来ても、変わり果てた社会まで愛を持って目を向けることは出来ない。
自然美の思い出はあるが、本質的に私には貧乏を懐かしむような郷土愛が無い。