公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

赤い津波 039; アメリカを逃げ出す人々

2024-11-04 15:07:00 | 次期大統領の宣言
ニュージャージー州議会議員のジャメル ホリーは、オバマ夫妻がプライベートジェットでアメリカから逃亡したと主張している

🇺🇸トランプが勝ったら国を去ると約束したが、まだ去っていない有名人たち!

ウーピー・ゴールドバーグからシェールまで、多くの有名人が、トランプ氏が再選されたら米国を離れると誓っていたが、彼の勝利が近づくにつれ、大半は米国に留まっている。

ウーピー・ゴールドバーグは自身の勝利を否定したが、「私はどこにも行かない」と明言した。

シェールが以前、木星に移住すると主張していたが、それは空論に過ぎず、レナ・ダナムエイミー・シューマーも同様のジョークを飛ばしたが、結局選挙後もアメリカに留まった。

サミュエル・L・ジャクソンブライアン・クランストンも撤回した。

少なくとも今のところは、星は残っているようです。

出典:デイリーメール

トランプ勝利で国外に出て行く人々のリスト。 
List of people that will be leaving the country because of a Trump victory. 

1. Alec Baldwin
2. Whoopi Goldberg 
3. John Legend
4. Chrissy Teigen
5. Rob Reiner
6. Barbara Streisand
7. Cher
8. Nancy Pelosi
9. Hillary Clinton
10. Megan Rapinoe
11. Tom Hanks
12. Amy Schumer
13. AOC
14. Lady Gaga
15. Taylor Swift 
16. Bill Gates 
17. Jane Fonda
18. Madonna
19. Mark Ruffalo
20. Kim Kardashian
21. Bruce Springsteen
22. George Clooney
23. Hunter Biden
24. Oprah 
25. Robert De Niro
26. Samuel L Jackson
27. Miley Cyrus
28. Travis Kelce
29. Bobbi Althoff
30. Rashida Talib
31. Stormy Daniels
32. Dr. Anthony Fauci
33. George Soros
34. Diddy
35. Eminem 
36. Ellen DeGeneres
37. Sean Penn
38. Sharon Stone
39. Ashley Judd
40. Tommy Lee
41. Bryan Cranston
42. Billie Joe Armstrong

Bonus
Cher will blow her brains out
Rob Reiner will set himself on fire 
Bono vows to drive his car off a cliff

マイケル・コーエン氏は、ドナルド・トランプ氏が大統領に選出された場合、米国を離れ、新しい名前で外国のパスポートを取得する手続きをすでに進めていると発表した。

この二人も去ってくれる。





バーブラ・ストライサンドは、トランプが大統領ならこの国に住むことはできないと語った。





追補2024/11/07 さあこの人たちはどうするのでしょう?




サタン教会を設立した最高司祭アントン・ラヴェイ(右)、ラヴェイの右腕マイケル・アキノ(左)とカメラに向かってポーズをとるサミー・デイヴィス・Jr

アントン・サンダー・ラヴェイ(Anton Szandor LaVey、本名 ハワード・スタントン・リーヴィー Howard Stanton Levey、1930年4月11日 - 1997年10月29日)[1]は、サタン教会の開祖であり、アメリカ合衆国における同教会の司祭長であった。著述家、オカルティスト、ミュージシャンでもあった。The Satanic Bible(『サタンの聖書』)を著し、人間の本性についてラヴェイ自身の理解するところと、物質主義的快楽主義や個人主義を主張した哲学者たちの洞察とを総合した体系である「ラヴェイ派サタニズム」(LaVeyan Satanism)を創始した。

概要

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誕生から青年期まで

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ラヴェイはシカゴでハワード・スタントン・リーヴィー として生まれた。父は、シカゴ出身のMichael Joseph Lavey(1903–1992)で、母はGertrude Augusta Coultronという。母は1893年にオハイオ州に来た移民の娘で、父はロシア人、母はウクライナ人だった。祖父母は1900年にアメリカ市民権を獲得し、帰化した。だが、ラヴェイの伝記には、彼はフランス人、ロシア人、ウクライナ人、ドイツ人、ルーマニア人、グルジア人、アルザス人の血を引いていると書いてある[2][3]。
ラヴェイの家族はカリフォルニア州に引っ越し、ラヴェイは幼少期をサンフランシスコ・ベイエリアやアリゾナ州グローブで過ごした彼の楽器への興味に両親も賛同し、その結果、多くの楽器に触れる機会を得たが、その中でも彼のお気に入りはパイプオルガンやカリオペといった鍵盤楽器だったこのころ、彼はアール・ヘーゲンの『ハーレム・ノクターン(英語版)』といった楽曲を演奏した[4]。
彼は16歳のころまでカリフォルニア州ミル・バレーにあるTamalpais High Schoolへ通っていた[5][6] 。
伝記によると、彼は高校中退後、サーカスに入り、その後カーニバルへ参加した。最初彼は雑役から入り、次に大型の猫の調教師になり、それからカリオペの演奏者となり、カーニバルの読唇術も務めたこともあった。
土曜の夜に下品なショーを行った後、日曜の朝に同じテントで同じメンバーが伝道集会を行うのを見て、宗教に疑問を持つようになったと、ラヴェイは回想している。後にラヴェイはオルガン奏者としてバーやラウンジ、ナイトクラブで働いた。ドイツ語版The Satanic Bibleにおいて、ラヴェイはこの経験が宗教への否定を強めたことを語っており、熱心な礼拝出席者が二重の道徳基準を用いていることを非難した[7]。 ロサンゼルスでオルガン奏者として活動していたところ、当時マヤ・シアター(英語版)で活動していた無名のダンサーだったマリリン・モンローと関係があったことを記しているこのことについては、当時のモンローを知る者たちから正確性が疑われており、マヤ・シアターの支配人である、ポール・ヴァレンティンも、「モンローがラヴェイのバックダンサーだったと言う事実はないし、Mayan Theaterがバーレスクの会場として利用されていたという事実はない。」と話している[8]。
サンフランシスコに戻った後、ラヴェイはサンフランシスコ市警察で3年間カメラマンとして働く傍ら超常現象の調査も行い、在職中のラヴェイの元には800件の依頼があった。後に彼の伝記の著者がサンフランシスコ市警にラヴェイが在籍していたかどうか問い合わせたが、彼の在籍が事実であることを実証する結果は得られなかった[1][9]。サンフランシスコ市警在籍時、ラヴェイはジョージ・ハース、ロバート・バーバー・ジョンソン(英語版)(ジョンソンはサーカスで調教師兼カーニバルの背景描きを務めていたころにラヴェイと出会っていた)、クラーク・アシュトン・スミス(後にブランシュ・バートンのThe Secret Life of a Satanistに登場)といった「ウィアード・テイルズ」の参加者たちと知り合った。
1950年、ラヴェイはCarole Lansingと知り合い、翌年結婚。さらにその1年後である1952年にカーラ・ラヴェイをもうけた。ラヴェイが Diane Hegartyに夢中になったため1960年Carole Lansingと離婚した。ラヴェイとHegartyは結婚することはなかったもののパートナー同士であり続け、1963年2番目の娘であるZeena Galatea LaVeyが誕生した[10]。
関係が破たんした際、ハガトリーは慰謝料を請求した[11][12]。
サタニズムへの傾倒

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ロスト・ウィークエンド・カクテル・ラウンジでのウーリッツァー・オルガン(英語版)の演奏オルガン奏者としてだけでなく、の超常現象に関する研究もあって地元の名士に仲間入りしたラヴェイは多くの名士を呼んでパーティーをよく開き、Carin de Plessin、マイケル・ハーナー(英語版)、Chester A. Arthur III、フォレスト・J・アッカーマン、フリッツ・ライバー、Dr. Cecil E. Nixon、ケネス・アンガーといった人物もパーティーに来場した。
サタン教会

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ラヴェイは、毎週金曜日の夜にオカルトと宗教的な儀式についての講義を始めるようになった。このサークルの参加者たちは、彼に新しい宗教の基礎を作らないかと持ちかけた。1966年4月30日のヴァルプルギスの夜、彼は古代の処刑人の習わしとして、頭をそる儀式を行い、サタン教会の設立を宣言し、1966年を"Anno Satanas"(サタン元年)とした。1967年2月1日、急進的ジャーナリストジョン・レイモンドと、ニューヨーク市在住のソーシャライトであるジュディス・ケースとの、サタニズム式結婚式がサタン教会主催で開かれ、その際、ロサンゼルスタイムズとサンフランシスコ・クロニクルといった新聞紙は、ラヴェイを暗黒教皇として報道した。その後、ラヴェイはサタニズムの洗礼を行った(ラヴェイの実の娘であるジーナにとっては初めてのサタニズムの洗礼であり、この洗礼によりサタン教会の存在は世界中に知られるようになった。なお、洗礼の様子はThe Satanic Mass LPに記録された)[13][14][15][16]。また、Edward Olsenという海軍の軍人の葬儀も執り行い、その様子はThe Satanic Massに収録されている。
1960年代末から70年代初頭、ラヴェイはフリードリヒ・ニーチェやアイン・ランド[17]、H・L・メンケンやジャック・ロンドンといった人物のイデオロギーから影響を受け、それをサタン教会のイデオロギーや儀式に取り入れた。
また、Ragnar RedbeardのMight is Rightを引用して解釈したり、ジョン・ディーのエノク語の悪魔語版を題材とした小論を発表し、のちにこれらの論文はThe Complete Witch(1989年にThe Satanic Witchとして再発行)やThe Satanic Ritualsといった書物にまとめられた。The Satanic Ritualsには、H・P・ラブクラフトの文学に影響を受けた宗教的な絵も収録されていた。(なお、この絵を描いたのはのちにセトの寺院(英語版)を設立するマイケル・A・アキノである。)
著書を通じて知名度が上がったラヴェイは世界中のマスコミの注目の的となり、Look、McCall's、Newsweek、タイムや男性誌からのインタビューを受け、Joe Pyne、Phil Donahue、ジョニー・カーソンといったトーク番組に出演し、1970年には長編ドキュメンタリー映画Satanis: The Devil's Massに出演した。1960年代末において、ラヴェイはサタニズムおよび黒魔術の世界において主流とされる人物として見なされていた。
ラヴェイは3人目にして最後の伴侶である、ブランシュ・バートンと出会い、1993年11月1日には、実子Satan Xerxes Carnacki LaVeyをもうけた。

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1997年10月29日、アントン・ラヴェイはカリフォルニア州サンフランシスコにあるセントメアリー医療センターで肺水腫のため亡くなった[18]。彼がサタン教会の代表者であるにもかかわらず、カトリック系であるセントメアリー医療センターに搬送されたのは、たまたまそこが便利だっただけである。憶測もあったせいで、彼の死亡証明書の日付は実際よりも2日遅い10月31日(ハロウィン)の朝ということになっていた。招待された人だけが参列できる、サタン教会の密葬により火葬され、カリフォルニア州コルマ(英語版)に埋葬された[5]。ラヴェイ没後、バートンが協会の代表を務めたが、後にピーター・H・ギルモアに代表の座を譲った。


Satan Xerxes Carnacki LaVey
情報なし


カーラ・マリッツァ・ラヴェイ(Karla Maritza LaVey、1952年7月31日生まれ)は、悪魔教会の創始者アントン・ラヴェイの娘であり、長女である。 彼女はアメリカのラジオ司会者であり、父の組織の元大祭司であり、カリフォルニア州サンフランシスコにある第一悪魔教会の創設者であり管理者である[1]。
カーラ・ラヴェイ
生まれ
カーラ・マリッツァ・ラヴェイ
1952年7月31日(72歳)
米国カリフォルニア州サンフランシスコ
職業
ラジオ司会者、音楽興行師、宗教指導者、第一悪魔教会創設者
活動年数
1972年-現在
アントン・ラヴェイ
キャロル・ランシング
親戚
ゼーナ・シュレック(異母姉)
カーラはテレビ、ラジオ、Fox Newsなどのニュースや雑誌の記事で紹介されている[2]。 彼女は映画『Satanis』で見ることができる: The Devil's Mass』(1970年)、『Witchcraft 70』(1970年)、『Speak of the Devil』(1993年)に出演している[要出典]。
バイオグラフィー
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カーラはサンフランシスコでキャロル・ランシングとアントン・ラヴェイの間に生まれた。 彼女は1999年にサンフランシスコに本部を置く第一サタニック・チャーチを設立した[4]。
1979年、カーラはアムステルダムに派遣され、インターナショナル・チャーチ・オブ・サタン本部[5]を監督した。
1997年10月29日、アントン・ラヴェイは肺水腫で亡くなった。 アントン・ラヴェイの近親者であるカーラは、1997年11月7日に記者会見を開き、父の死を発表した。 この時、ブランチ・バートンとカーラ・ラヴィーは共同大祭司として共同で悪魔教会を運営すると発表した[6]。
アントン・ラヴェイの死の数日後、バートンは、ラヴェイが悪魔教会を含む彼のすべての持ち物、財産、著作物、印税を、ラヴェイが生んだバートンの幼児の息子に遺したと主張する手書きの遺書を作成した。 ラヴェイの全財産は息子のために信託され、バートンが管理するとバートンは主張した。 カーラはこの遺言に異議を唱え、サンフランシスコ検認裁判所はその後、この遺言は無効であると決定した[7]。
数年後の2001年10月31日、アントンの遺品、知的財産、印税を3人の子供たちに均等に分けるという和解が成立した: カーラ、ジーナ、そしてラヴェイの息子バートン(サタン・クセルクセス・カーナキ・ラヴェイ)である。 和解はまた、バートンが「チャーチ・オブ・サタンとして知られる法人」を受け取ることを規定した[8]。




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