1986年(昭和61年)1月11日、昭和の絵師 上村一夫逝去。享年45歳。
33年前の今日、天才を失った。昭和が残っているうちに。
人喰い
神奈川県横須賀市に生まれる。1964年、武蔵野美術大学デザイン科を卒業。大学4年生の時に半年間アルバイトで勤務していた広告代理店・宣弘社のイラストレーターとして広告制作に携わる。宣弘社にてテレビの絵コンテを描いていた上村の隣のデスクに座っていたのが生涯の友人である阿久悠である。
1967年、アメリカの雑誌『PLAYBOY』風のパロディ漫画『カワイコ小百合ちゃんの堕落』を『月刊タウン』創刊号に発表。これが漫画家としてのデビューとなる。1968年には、放送作家としても活動していた阿久悠と組み、『平凡パンチ』にて『パラダ』の連載を開始。本格的な漫画家活動に入る。
1985年11月、下咽頭腫瘍で入院。1986年1月11日、死去。45歳没。
2013年4月、神楽坂artdish にて上村一夫原画展「花の輪廻」開催。トークイベント 『科学の子とエロスの子〜愛娘トークナイト〜神楽坂の夜は更けて』が行われた。科学の子とは手塚治虫の長女の手塚るみ子、エロスの子は上村の長女、上村汀である。
2014年6月〜7月、京都嵯峨芸術大学にて『漫画家 上村一夫の世界 〜昭和の絵師と呼ばれた男〜』展開催[1]。
2016年1月〜3月、弥生美術館にて『わが青春の「同棲時代」上村一夫×美女解体新書展』開催[2]。
2017年1月、アングレーム国際漫画祭にて「離婚倶楽部」が遺産賞を受賞。
2017年8月、日本テレビ系「24時間テレビ40「愛は地球を救う」ドラマスペシャル、 時代をつくった男 阿久悠物語」内にてその人生の一部も紹介された。
宣弘社時代の同僚であった阿久悠は、上村を「生まれて初めて出会った天才」と評している[3]。
阿久は宣弘社時代にCMの絵コンテなどを手がけていたが、上村のうまい絵を見てからは恥ずかしくなり絵が描けなくなったと述べている[4]。
ギターが得意で、東京で5番目にうまいと自称していた[4]。宣弘社時代には阿久が書いた詩に上村が曲をつけたこともあったという[4]。
- 江戸浮世絵異聞・アモン(ヤングコミック連載 1968 - 1969年)
- 男と女の部屋(漫画アクション連載、原作:阿久悠 1970年)
- 怨獄紅(ヤングコミック連載 1970-1971年)
- マリア(漫画アクション連載 1971 - 1972年)
- 修羅雪姫(週刊プレイボーイ連載、原作:小池一夫 1972 - 1973年)
- 同棲時代(漫画アクション連載 1972 - 1973年)
- 苦い旋律(ヤングコミック連載、原作:梶山季之 (1973/6/10-21回)少年画報社 1973年 )
- 雨靴物語(SMセレクト連載、(原作:梶山季之『青い旋律』『性科学XYZ』「ブーツと長靴」 )東京三世社 1971年 ) - ゴムマニアで長靴フェチの女子高生が、大好きなピカピカのロング長靴を履いて悦ぶ。劇画の掲載は男性風俗誌ながら、女性誌「女性セブン」に連載の原作を「女性視点」で官能的に美しく描く。
- しなの川(ヤングコミック連載、原作:岡崎英生 1973 - 1974年)
- 狂人関係(漫画アクション連載 1973 - 1974年)
- 夢師アリス(ヤングコミック連載、原作:岡崎英生 1974年)
- 離婚倶楽部(漫画アクション連載 1974 - 1975年)
- 凍鶴(ビッグコミック不定期連載 1974 - 1980年)
- 悪の華(漫画エロトピア連載、原作:岡崎英生 1975年)
- 悪魔のようなあいつ(ヤングレディ連載、原作:阿久悠 1975年)
- サチコの幸(漫画アクション連載 1975 - 1976年)
- 淫花伝(漫画エロトピア連載、原作:戸川昌子・岡崎英生 1976 - 1977年)
- 螢子(週刊女性連載、原作:久世光彦 1976 - 1977年)
- 関東平野(ヤングコミック連載 1976 - 1978年)
- 昭和一代女(Apache連載、原作:梶原一騎 1977 - 1978年)
- ゆーとぴあ(ビッグコミック連載、原作:真樹日佐夫 1982 - 1985年)
- 菊坂ホテル(小説王連載 1983 - 1984年)
- 一葉裏日誌(ビッグゴールド不定期 1987年)