新しい公共、そもそもは突然に鳩山由紀夫氏が言い出し、総理大臣決定で設置した円卓会議の人選が疑問。特にメディア記者がなぜ参加する?、マシンガン・ダンディの娘?98億円も既に概算要求してる手回しの良さにはまいる。説明資料も減税やら利子補給やら、債務保証やら、金のことばっかり。宣言において「政府と協働」とあるが、NPOと政府を同格に扱った宣言は、反政府主義の狼煙台になる危険がある。
逢坂大臣政務官が政府側の中心となっている活動、民主党の「新しい公共」には危険なにおいがする。まずはNPO法人への寄付に係る税制の緩和というあたりから着手するにおいをさせているとこから、もうだめくさい。
NPO法人は実態はみえにくいし、民主党の言うように社会福祉から防犯防災までにとどまらず、そもそも定義範囲が広すぎる。限定したとしても抜け穴だらけ。政府(党)の認定する『新しい公共』的な仕事に食い込めば、事実上の税逃れの天国を提供する恐れさえある。また、いわゆるプロ市民、『新しい公共』的な仕事を大義名分として生業を仕組む集団、企業のネガティブサイトを開設してインターネット上で「公的」圧力をかけて営業を妨害する任意の偽公共集団など、すでに様々の偽装団体が仮想空間に存在する。もっと問題なのはこれまで既存認可の宗教法人で起こってきたように、入れ物だけ継承して、団体の非課税メリットだけをむさぼる勢力に入れ物売買される危険。クリーニングをどうするのかなにも示していない民主党案は、案の形さえ見えないが、概算要求している根拠もよくわからない。
予感だが、これは将来様々な問題が吹き出しそうな出口をつくる可能性がある。さもなくば意図して、よくわからない『新しい公共』的な仕事というカテゴリーで第三の社会(寄生社会)階層の居場所をつくろうとしているとしか思えない。ニセコ町長だったころの逢坂大臣を知るだけに残念でならない。逢うことがあったら一言やめろといいたい。
薔薇曇り、やがて萎えゆく花較べ
NPOへの寄付、税額控除の方針強調 仙谷長官
2010.11.11 15:20
仙谷由人官房長官は11日、政府の「新しい公共」推進会議(座長・金子郁容慶大大学院教授)の会合で、NPO法人に対する寄付の税額控除のため、平成23年度から税制を見直す方針を強調した。「政府の基本方針として不退転の決意でがんばりたい」と述べた。
逢坂大臣政務官が政府側の中心となっている活動、民主党の「新しい公共」には危険なにおいがする。まずはNPO法人への寄付に係る税制の緩和というあたりから着手するにおいをさせているとこから、もうだめくさい。
NPO法人は実態はみえにくいし、民主党の言うように社会福祉から防犯防災までにとどまらず、そもそも定義範囲が広すぎる。限定したとしても抜け穴だらけ。政府(党)の認定する『新しい公共』的な仕事に食い込めば、事実上の税逃れの天国を提供する恐れさえある。また、いわゆるプロ市民、『新しい公共』的な仕事を大義名分として生業を仕組む集団、企業のネガティブサイトを開設してインターネット上で「公的」圧力をかけて営業を妨害する任意の偽公共集団など、すでに様々の偽装団体が仮想空間に存在する。もっと問題なのはこれまで既存認可の宗教法人で起こってきたように、入れ物だけ継承して、団体の非課税メリットだけをむさぼる勢力に入れ物売買される危険。クリーニングをどうするのかなにも示していない民主党案は、案の形さえ見えないが、概算要求している根拠もよくわからない。
予感だが、これは将来様々な問題が吹き出しそうな出口をつくる可能性がある。さもなくば意図して、よくわからない『新しい公共』的な仕事というカテゴリーで第三の社会(寄生社会)階層の居場所をつくろうとしているとしか思えない。ニセコ町長だったころの逢坂大臣を知るだけに残念でならない。逢うことがあったら一言やめろといいたい。
薔薇曇り、やがて萎えゆく花較べ
NPOへの寄付、税額控除の方針強調 仙谷長官
2010.11.11 15:20
仙谷由人官房長官は11日、政府の「新しい公共」推進会議(座長・金子郁容慶大大学院教授)の会合で、NPO法人に対する寄付の税額控除のため、平成23年度から税制を見直す方針を強調した。「政府の基本方針として不退転の決意でがんばりたい」と述べた。
2011.1.31 14:32
漫画「タイガーマスク」の主人公・伊達直人など創作上のヒーローの名前で養護施設に学用品や玩具などを寄付する行為が相次いでいる。この現象は「タイガーマスク運動」とマスコミに名付けられ、全国に拡大した。
この現象を考える上でのポイントはふたつある。
ひとつはその匿名性、彼らがキャラクターの名を騙(かた)る理由だ。タイガーマスクをはじめ古今東西、ヒーローの多くが正体を隠して戦うのだが、日本の場合それが特に顕著だ。スパイダーマンやバットマンといったアメコミヒーローたちがあくまでその正体を隠すためだけに仮面をかぶるのに対し、ウルトラマンや仮面ライダーといった日本的ヒーローの多くが「変身」することで正体を隠すだけではなく、はじめて超能力を発揮することができる。つまり日本人にとってヒーローとは、「別の自分になることで自己実現する」ものなのだ。養護施設に寄付する「ヒーロー」は一般市民である自分ではなく、国民的な創作物のヒーローに「変身」したほうが説得力があるのだろう。
思えば、この国はインターネット上での発言ひとつとっても偽名(ハンドル)に「変身」して行う傾向が強い。背景にあるのは日本社会に根付く社会参加のイメージの問題だろう。西欧型の市民社会の未成熟を嘆くのと同程度に、たとえば匿名でしか社会参加したがらない国民性を直視した制度設計が検討されてもいいのかもしれない。
ふたつ目は彼らが「変身」するヒーローがタイガーマスク、仮面ライダーなど1970年代のものに集中していることだ。これは70年代以降、わかりやすく「世界の平和を守る」公共性を体現するヒーローが国民的な創作物上ではあまり登場しなかったことが理由として挙げられるだろう。現代のヒーローはまず「正義とは何か」という問いに葛藤し、自分探しをしなければならない。また70年代が少年漫画とテレビ特撮番組、ロボットアニメなどのブームが相次いだ「ヒーローの時代」だったことも重要だ。
「政治の季節」と「高度消費社会」の中間だったあの頃のヒーローたちは、来るべき個人主義と相対主義の時代を前に、創作物の中で「公共性」を無条件で信じていた、いや、信じる役割を負わされていたのかもしれない。70年代は「公共性」とは何かが、少なくとも児童向けの創作物上ではとりあえず明白なものとして扱えた最後の時代だったのだ。だからこそ、現在の慈善家たちは適当なヒーローの名前を充てるときに、無意識のうちに70年代のヒーローのものを選んでしまったのかもしれない。
いずれにせよ、70年代も昭和もあの頃の日本社会の一体感も(そもそも存在したかどうかもあやしいが、仮に実在したとしても)二度と戻ってこない。重要なのは慈善家たちが過去のヒーローたちを呼び出して社会にコミットしてしまうこの国の一風変わった公共性を生かした制度設計を考える視点だろう。(寄稿)
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【用語解説】タイガーマスク運動
昨年のクリスマスに前橋市の児童相談所前に「伊達直人」を名乗る贈り主からランドセル10個が置かれていたのを発端に、全国の児童福祉施設などに漫画「タイガーマスク」の主人公を名乗る匿名の寄付が相次いだ。贈り物はランドセルや文房具、お菓子など多彩で、贈り主の名も「矢吹丈」「肝っ玉かあさん」「桃太郎」と広がりをみせた。
漫画「タイガーマスク」(梶原一騎原作、辻なおき作画)は昭和45年前後に少年誌に連載され、アニメ化された。虎のマスクをかぶったプロレスラー、伊達直人は、出身の「孤児院」にファイトマネーを贈り続け、マスクは匿名の象徴でもあった。
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【プロフィル】宇野常寛
うの・つねひろ 批評家。昭和53年、青森県生まれ。企画ユニット「第二次惑星開発委員会」主宰。批評誌「PLANETS」編集長。文芸からサブカルチャーまで幅広い分野で発言している。著書に『ゼロ年代の想像力』(早川書房)。