公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

今読んでる『詞と曲に隠された物語 昭和歌謡の謎』 合田道人

2018-07-06 09:41:47 | 今読んでる本

読了。


渡辺はま子のモンテンルパの無実の死刑囚を日本に返したいきさつについても書かれている。若いのにえらい。

マニラ南郊の郊外都市となっているモンテンルパ(モンティンルパ)
モンティンルパ市(Muntinlupa City)は、フィリピン共和国ルソン島にある市である。マニラ首都圏に属する。
大東亜戦争中の激戦地フィリピンにおいて、マニラ軍事裁判後にニュービリビット刑務所で処刑された、山下奉文大将以下17名が葬られた場所である。また、渡辺はま子のヒット曲『あゝモンテンルパの夜は更けて』で知られる、戦争犯罪者収容所の所在地であった。当時のキリノ大統領は全員恩赦釈放した『私はこれまで、日本人戦犯に対する恩赦の請願を種々の形で熱烈に受けてきましたが、最後の最後まで許すことが出来ませんでした。なぜなら私は妻と3人の子供及び5人の家族を日本人に殺されたからです。しかし、もし私がこの個人的な怨みをいつまでも持ち続けるなら、私の子供たちも、次々と永遠に持ち続けることになるでしょう。将来、フィリピンと隣り合わせの位置にある日本との関係は,あらゆる点において親しく助け合って共存共栄の実を挙げなければなりません。そのためには私恨を断ち切らなければならないと決心したのです。』

マニラ市街戦は非常に激しいものだった。果たして日本人(日本軍と軍属民間人)が無抵抗で無害のフィリピンの人々を積極的に殺しただろうか?

「私は日本人に妻と三人の子ども、そしてさらに五人の親族を殺された者として彼らを特赦する最後の一人となるだろう。私は自分の子孫や国民に、我々の友となり、我が国に長く恩恵をもたらすであろう日本人に憎悪の念を残さないために、この措置を講じたのである  私を突き動かした善意の心が人間に対する信頼の証として、他者の心の琴線に触れることになれば本望である」エルピディオ・キリノ




合田 道人(ごうだ みちと、1961年12月13日 - ) は、北海道釧路市出身の日本の歌手・作家・構成作家・作詞家・作曲家・音楽プロデューサー。 株式会社ミュージック・オフィス合田代表取締役社長。(有)オフィスキコ、(有)キタガワサウンズ代表取締役会長。 日本歌手協会理事。日本音楽著作権協会正会員。日本報道協会理事。父はノンフィクション作家の合田一道。

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