学校は徒弟や家庭内労働の否定というその機能によって軍隊育成の強制意義はあったが、徴兵も徴用もない現代日本社会で教育を強制するには学歴という最悪の脅迫が必要になる。
学歴を知性とする過ちは、学歴が脅迫する階層フィルターとして存在したが故に始まったこと、考える力のない高学歴者はどこにでもいる。
ただ学歴から外形的に最低限言えることは、本人またはその保護者が十分な準備をして大学に入って、ある期間自由に考える時間が与えられたということ。その時間さえも何事にも集中せずに無駄に過ごしていたのであれば、社会人として忙しい今、考える習慣を持っているという評価は極めて疑わしい。
つまり知性とは考える習慣であり、遺伝と生きる姿勢で作られているもの(広い意味での知力)の中で、他と比較可能な能力であって、一般には問題を解く力などと限定的に評価されているが、スポーツやサバイバルの能力もまた知性である。