公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

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書評「人情馬鹿物語 」 川口松太郎 著

2015-03-12 07:41:54 | 今読んでる本
ちょっと昔の話でも、地名がおぼつかないと作品の味わいが薄れるものだ。東京は必死になって江戸の名残りを壊し、震災は町の形を変え、戦後は小役人の田舎土産に地名を次々書き換えたものだから、新石町と言ってもはや手がかりすら今は無い。

川口は第一回直木賞作家。いまや直木三十五も知らない人ばかりで、三十五を今更どんな野郎だったのか知っても何の足しにもならないが、川口松太郎のこの作品は日本人ウケするオー・ヘンリーと同じジャンルの作品だ。「愛染かつら」は映画以外知らないけれど、今はすっかり忘れられた川口松太郎は希少な昭和の嬉しくも哀しい、甘じょっぱい世間を描いた作品だけに、おすすめできる。

学歴らしいもののない川口は世間渡りの妙に長けていたらしい。講釈師(講談家のこと)のもとで口述筆記の手伝いをしながら、庶民文学を学んだらしいから、江戸っ子の言葉のテンポが小気味良く愛情深い。浅田次郎がよく描く失われた街の記憶のような大正から昭和のはじめにかけての情緒が写し取られている。


『春情浮世節』より
『振り出しは新石町の立花で 、それから牛込の神楽坂 。お終いが麻布の十番で 、三軒のかけ持ちだったが 、立花へ上るまでにはまだ四五時間のひまがある 。酒の好きな錦之助は 、くさくさすると酔払って高座へ出て 、お客に冗談をいいながら手馴れた三味線の曲弾きをやる 。酒が入ると芸が明るく席亭も客も喜ぶほどだ 。 「姐さん ! 」と 、一人でふくむ盃上に 、誰やら男の声がした 。真打になって間もない柳家さん枝で 、 「どうしたんですい昼間っから 」 「お前さんこそどうしたのさ 」 「腹が減ったからそばを食おうと思って寄ったんだが 、姐さんは又 、今時分から酒ですか」』


新石町というと千代田区内神田三丁目あたり、万世橋にも近い。といっても、その頃にあった駅はなく、駅前のランドマーク広瀬中佐と杉野兵曹長の像を覚えている世代もほとんど80歳を超えている。

地名が残存しないとこの場面の振り出し仕事までの距離感覚が捉えられない。ちょっとした情事の狭間感が出ない。

『深川の鈴』より
『帰ってお婆さんにそういっておくれ 。是非会いたいから 、私が訪ねてもよし 、会社へ来てくれてもよろしい 。昔の話をしたいからと伝えておくれ 」そういって 「しっかり勉強をしなさい 」と励まして別れた 。元気そうに 、部屋を出て行く少女を見送りながら 、古い昔の洲崎の路地を思い返した 。大正の震災と 、昭和の戦災とで 、深川の面影はなくなったが 、お糸も私も強靱に生きて来た 。恐らくはもう白髪にもなったであろう老年のお糸を想像しながら 、会える日を楽しんでいると 、京橋の会社へ宛てお糸からの手紙が届いた 。古風な巻紙へたどたどしい毛筆の文字が 、孫の礼なぞをいった末に 、 「今はお目にかかりたくありません 。女は年を取ると変り過ぎて我れながら恥ずかしく 、古い写真がありますから 、どうかこれで 、昔を思い出して下さいませ 」とあって 、赤茶けた写真が封じ込んであった 。それは洲崎にいた頃の若い姿で 、膝の上には赤ん坊のお新を抱いている 。梯子段から落ちて泣いたお新の可愛い顔の中から祭の鈴がしゃんしゃん鳴り出して来るような気がした 。年老いた姿を見せまいと思うお糸の心を感じ取って 、私もそれっきり便りはしなかった 。古ぼけた一枚の写真だけが 、鈴の音を響かせるように 、今でも 、事務所の机に眠っている 。』
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