公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

大いなる和の国

2019-05-27 16:51:07 | 日本人

「世界が称賛する 日本人が知らない日本」伊勢雅臣 著 ちょっと恥ずかしくなるタイトルだが、よく引用される渋谷スクランブル交差点の日本人のクールさを紹介したネタ元が出てたのでメモしておく

 平成21年6月14日

加藤恭子『私は日本のここが好き、外国人57人が語る』平成20年 出窓社


【シンガポール=共同】北朝鮮の朝鮮アジア太平洋平和委員会の報道官は2日、北朝鮮に核・ミサイル開発放棄を求めた河野太郎外相の最近の発言を非難した上で、前提条件なしに金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長との会談を目指すとする安倍晋三首相の方針を巡り「厚かましい」と突き放した。朝鮮中央通信の質問に答える形で述べた。》←こんなこと言われてクールでいられる日本人はむしろ鈍感。かつての日本人はこうではなかった。本来の日本人なら対抗的核武装を宣言していただろう。
ベトナム最初の軍事組織 “ベトミン軍 ”は 、日本陸軍によって育成され 、そして多くの日本兵がベトナム独立のため戦い続けたのである 。前出の石井卓雄少佐は 、カンボジアのプノンペンで終戦を迎えたが 、日本への帰国を拒否し 、ベトミン軍の南部総司令部の顧問としてゲリラ戦を伝授しながらフランス軍と戦い 、そして昭和二十五年 (一九五〇 )五月二十日 、敵弾に斃れた 。享年三十一だった 。石井少佐は 、次のような言葉を残してベトナムの独立のためにその命を捧げる決意をしていた 。 《敗北の帰還兵となるよりも同志と共に越南独立同盟軍に身を投じ 、喜んで大東亜建設の礎石たらんとす 》『本当は戦争で感謝された日本 アジアだけが知る歴史の真実 』(PHP文庫) 井上 和彦著
《ベトナム軍の勝利には “日本製兵器 ”が大きく貢献した事実も知っておく必要がある 。ある軍事博物館には 、武装した装甲車など戦闘車両が並ぶ野外展示スペ ースに 、日本の建機メ ーカ ー 「コマツ 」のブルド ーザ ーが並んでいる 。その解説板によれば 、ブルド ーザ ーはキュ ーバから送られたもので 、戦争中に道路建設に活躍したというのだ 。また 、屋内展示コ ーナ ーにはホンダのバイクも展示されている 。どうやら北ベトナム軍が足代わりにしていたようだ 。》 注目されるベンチャー
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