公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

親なしっ子 春色浅草ぐらし 川口松太郎

2015-03-19 21:03:24 | 今読んでる本
『やがて 、円玉と私とは夜更けの新大橋を渡っていた 。ひたひたと寄せている川水に 、上弦の月が赤黄色く 、水と砕けて散っている 。人通りもない橋の上の 、酔いの覚めた二人の頰に 、夜更けの風が冷たいほどだ 。』

川口松太郎のこういうところを描く絵がいいね。今よりもずっと東京の夜が暗かったことが想像できる。


『「講談速記も将来はないでしょう 」と 、いえば 、 「当り前だ 。親父もやがては種切れになる 。種が切れたらそれっきりで息は続かない 。まあその頃には親父も死ぬだろうし 、死んでしまえばこれだけ面白く読ませる腕の奴もないから此の仕事は円玉一代で終りだ 。その後には小説の流行る時代が来る 。お前なども今の内に心掛けて面白い小説を書く勉強をしろ 。親父の講談も為めになる箇所は失敬して覚えてしまえ 。親父の学問は与太だがその与太が面白い 。小説なんてものは歴史を書く訳じゃないし 、間違っていても面白い方が役に立ち 、正確でもつまらなければ読者は読まない 。世の中には詮索馬鹿という人種がいて 、どうでも好いような事を本気で議論する奴があるが 、そんな言葉に驚いてはいけない 。小説家は歴史を拵えて差支えのないものだ 。どんな空想でも出来る自由を持つのだから窮屈な枠にはめこまれてじたばたする事はねえ 」酔って来ると彼の議論は果てしがない 。』

大したもんだね、まるで文学の預言者だ。
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