ガンジーの示した七つの社会的罪 (Seven Social Sins)
1.理念なき政治 Politics without Principles
2.労働なき富 Wealth without Work
3.良心なき快楽 Pleasure without Conscience
4.人格なき学識 Knowledge without Character
5.道徳なき商業 Commerce without Morality
6.人間性なき科学 Science without Humanity
7.献身なき信仰 Worship without Sacrifice
コロナ疫病ワクチンは456
1.理念なき政治 Politics without Principles
2.労働なき富 Wealth without Work
3.良心なき快楽 Pleasure without Conscience
4.人格なき学識 Knowledge without Character
5.道徳なき商業 Commerce without Morality
6.人間性なき科学 Science without Humanity
7.献身なき信仰 Worship without Sacrifice
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自民党LGBT理解法は123
ハマスの暴虐は1273
人間は勝手なもので社会的正義とか社会的適切化などといって、罪の解釈を自在に変える。ガンジーの社会的罪はどれほど重い罪だろうか。よく考えて見れば、どれも罰せられることのない罪です。罪と感じるか感じないかは、通俗的良心の問題ではなく、五感と同じように感じることができるまで<社会(の腐敗)を感じる感覚>を研ぎ澄ますことが重要だとガンジーは言っているのです。ガンジーの限界は道徳的理念的とビルラ財閥*の財産によって世の中を変えようとしたことです。
<社会悪を感じる感覚><社会(の腐敗)を感じる感覚><人倫の互恵>を感覚として備えること、私は門外のものですが、一神教においては神との関係を一貫するということでありましょうか。私が思うには、むしろこれは古来日本人の心中にある恥の感覚に近いより重要な庶民の感性です。まさにDon't think. Feel.の世界です。
この感性は社会的には太古に、穢れと言っていたものを忌む気持ちです。
ひとたび穢れると社会の神域(罪なき世界)は二度と再生しません。クーデターで取り戻した政治は二度とクーデターなしの政治に蘇ることはありません。一度(ひとたび)罰されることのない手段(悪政、蓄財、放蕩、迷妄、詐欺、等にかぎらず)によって、なんでもやっていいという社会になった事後にはもう民族の神域(罪なき世界)建国の理想は蘇らないのです。
うん晩御飯食べないでしょうん
この500年、一神教の世界は1871年3月26日パリ・コミューンを頂点とする穢れと世俗価値の底に落ちました。そこから250年後、西暦2120年ころが次の聖典教条の頂点になるという聖俗振幅の予想から見た時に、現在はその110年ほど前の中点(聖俗の中立点)にあたる。これから人類が対処しなければならない大きな問題、人口増加、石油枯渇、淡水不足、成長の終了に対処するためには、多様な価値観は布教することが許されない異教になります。
そのような現在であればこそ、ガンジーのように道徳的に社会的罪の撲滅を大衆に訴えるのではなく、歴史に学ぶ先覚的リーダーを育成するべきなのです。なぜなら道徳は聖典に置き換えられてゆくからです。
一神教では500年の周期を経て聖俗が転換期を迎え、今世界は聖なる秩序を創るために聖なるものに向かっています。日本風にいうと穢れを雪ぐ歴史に入ろうとしています。世界は、あと100年も待つこと無く神との関係の教条的回復が一大運動の旗印となり、125年ほどの間、聖なる秩序の再々建設という大義名分の下に世界的規模の富の再分配の大紛争を起こすと予想します。新教が起こした血を流す歴史と同様に、世俗的名誉と権威がことごとく神の名のもとに奪われ、否定されます。
このような破壊と創造の一神教の歴史循環に学べば、いかに一神教が愚かなものであるか自ずとわかります。リーダーの勘が良ければ破壊によらず日常の感性として<人倫の互恵>を大切にする和の精神を涵養する教育がいかに重要であるかということに気づくはずです。穢れた大衆にガンジーのような理想主義は必要ありません。むしろ理想主義はこの時間スケールの場合は害毒です。人の善悪をこえた<人倫の互恵>を大切にする感性が破綻を防ぎます。そのようなリーダーがたった二人いるだけで解決するのです。それがある社会とない社会とは有機物と無機物ほどの違いがあります。
(しかし別のレベルでは、人間に理想は必要です。なぜなら強い理想は問いと疑問を誘起するからです。人間の精神作用はその脳裏に答えの心象がなければ、疑問を持つことさえできないのです。)
【ワシントン=吉野直也】オバマ米大統領は3日、「エジプト軍がモルシ大統領の権限を剥奪し、憲法の停止を決めたことを深く懸念する」との声明を発表した。そのうえで「できるだけ早く、透明な過程で国民が民主的に選んだ政府が戻ってくることを求める」と強調した。
私による、私のリンク集
*ビルラ家(बिरला, Birla Family)は、インドの財閥一家。インドではタタ財閥のタタ家と並ぶ存在。ビルラ家は、インド西部のラージャスターン州のマールワール商人コミュニティーの出身のバールデーオダース・ビルラー(Raja Baldeodas Birla、1894-1983)によって設立。第一次世界大戦中に投機によって利益を確保した。その資金を元に繊維産業に進出。その後は機械、自動車、科学、海運などに進出し巨大化した。
ビルラー家は、長年にわたってインド独立の父マハトマ・ガンディーを財政的に支援したことでも知られている。
人間は勝手なもので社会的正義とか社会的適切化などといって、罪の解釈を自在に変える。ガンジーの社会的罪はどれほど重い罪だろうか。よく考えて見れば、どれも罰せられることのない罪です。罪と感じるか感じないかは、通俗的良心の問題ではなく、五感と同じように感じることができるまで<社会(の腐敗)を感じる感覚>を研ぎ澄ますことが重要だとガンジーは言っているのです。ガンジーの限界は道徳的理念的とビルラ財閥*の財産によって世の中を変えようとしたことです。
<社会悪を感じる感覚><社会(の腐敗)を感じる感覚><人倫の互恵>を感覚として備えること、私は門外のものですが、一神教においては神との関係を一貫するということでありましょうか。私が思うには、むしろこれは古来日本人の心中にある恥の感覚に近いより重要な庶民の感性です。まさにDon't think. Feel.の世界です。
この感性は社会的には太古に、穢れと言っていたものを忌む気持ちです。
ひとたび穢れると社会の神域(罪なき世界)は二度と再生しません。クーデターで取り戻した政治は二度とクーデターなしの政治に蘇ることはありません。一度(ひとたび)罰されることのない手段(悪政、蓄財、放蕩、迷妄、詐欺、等にかぎらず)によって、なんでもやっていいという社会になった事後にはもう民族の神域(罪なき世界)建国の理想は蘇らないのです。
うん晩御飯食べないでしょうん
この500年、一神教の世界は1871年3月26日パリ・コミューンを頂点とする穢れと世俗価値の底に落ちました。そこから250年後、西暦2120年ころが次の聖典教条の頂点になるという聖俗振幅の予想から見た時に、現在はその110年ほど前の中点(聖俗の中立点)にあたる。これから人類が対処しなければならない大きな問題、人口増加、石油枯渇、淡水不足、成長の終了に対処するためには、多様な価値観は布教することが許されない異教になります。
そのような現在であればこそ、ガンジーのように道徳的に社会的罪の撲滅を大衆に訴えるのではなく、歴史に学ぶ先覚的リーダーを育成するべきなのです。なぜなら道徳は聖典に置き換えられてゆくからです。
一神教では500年の周期を経て聖俗が転換期を迎え、今世界は聖なる秩序を創るために聖なるものに向かっています。日本風にいうと穢れを雪ぐ歴史に入ろうとしています。世界は、あと100年も待つこと無く神との関係の教条的回復が一大運動の旗印となり、125年ほどの間、聖なる秩序の再々建設という大義名分の下に世界的規模の富の再分配の大紛争を起こすと予想します。新教が起こした血を流す歴史と同様に、世俗的名誉と権威がことごとく神の名のもとに奪われ、否定されます。
このような破壊と創造の一神教の歴史循環に学べば、いかに一神教が愚かなものであるか自ずとわかります。リーダーの勘が良ければ破壊によらず日常の感性として<人倫の互恵>を大切にする和の精神を涵養する教育がいかに重要であるかということに気づくはずです。穢れた大衆にガンジーのような理想主義は必要ありません。むしろ理想主義はこの時間スケールの場合は害毒です。人の善悪をこえた<人倫の互恵>を大切にする感性が破綻を防ぎます。そのようなリーダーがたった二人いるだけで解決するのです。それがある社会とない社会とは有機物と無機物ほどの違いがあります。
(しかし別のレベルでは、人間に理想は必要です。なぜなら強い理想は問いと疑問を誘起するからです。人間の精神作用はその脳裏に答えの心象がなければ、疑問を持つことさえできないのです。)
【ワシントン=吉野直也】オバマ米大統領は3日、「エジプト軍がモルシ大統領の権限を剥奪し、憲法の停止を決めたことを深く懸念する」との声明を発表した。そのうえで「できるだけ早く、透明な過程で国民が民主的に選んだ政府が戻ってくることを求める」と強調した。
私による、私のリンク集
*ビルラ家(बिरला, Birla Family)は、インドの財閥一家。インドではタタ財閥のタタ家と並ぶ存在。ビルラ家は、インド西部のラージャスターン州のマールワール商人コミュニティーの出身のバールデーオダース・ビルラー(Raja Baldeodas Birla、1894-1983)によって設立。第一次世界大戦中に投機によって利益を確保した。その資金を元に繊維産業に進出。その後は機械、自動車、科学、海運などに進出し巨大化した。
ビルラー家は、長年にわたってインド独立の父マハトマ・ガンディーを財政的に支援したことでも知られている。