公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

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ケネディーの本当の運命日1963年6月4日

2015-07-27 09:43:31 | ジョージ・ソロスのワンワールド
暑い日が続くと、ダラスの暑い日という単語が頭に浮かぶ。



1963年11月22日、ダラスで暗殺される171日前、6月4日が本当のJ・F・ケネディー大統領の死が決定した日である。JFKの正式の大統領命令第11110号により、42億ドルの政府券United States Noteが発行され、暗殺後政府紙幣は回収されたという。とても暗殺するほどの金額とは思えないが、それ以来アメリカ合衆国大統領は表面的な独立国であることに不満を表明していない。

次に抹殺されそうになったので辞任したニクソンは、アメリカ経済の救世者といえるだろう。金兌換ができなくなってニクソンショックで終了するかと思われていた米ドル基軸体制が、まさかの原油基軸に生まれ変わる(商務省債権サウジ還流ドル体制)、だれの知恵入れか知らないが、ニクソンはケネディー以上の愛国者だった。オイルダラーを還流して招いたがために、内部から裏切り者が出て権力から転落した。

1971年8月15日(日本は8月16日午前)1オンス35ドルでの交換を一時停止し、賃上げを90日間凍結した。これは絶後の緊急事態であった。ニクソンは米国を倒そうとしてインフレの原因を作っている国際金融の裏の操作者にむかって「……過去7年間、毎年1回は通貨危機が起きている。通貨危機で一体誰が利益を得たのか。労働者でも、投資家でも、富の真の生産者でもない。受益者は国際通貨の投機家です。彼らは危機で栄える故に危機を起こそうとしています。……」彼らこそが真の主人、しかし噛みつくそぶりを示しただけで終わった。

ニクソンを転落に導いた者達の破局戦略は今も続いている。その動きの最先端がテキサス州の金兌換紙幣発酵計画だ。テキサスという国は米国ではないかのような独自の動きをしている。これはただの揺さぶるではない。ダラス連銀の統括する11区は連銀システムを脱退するかもしれない。11区程度ならすぐに金の準備は可能だろう。問題はその後のグリーン券との交換比率が市場に委ねられた時の暴落(世界中が減損会計処理しなければならなく)が核兵器のような威力をもって世界経済に逆風を吹かせる。金融氷河期が訪れた時本当の目的が見えてくる。減損しない唯一の価値は人間の需要すなわちエネルギー換算された食糧とエネルギーを裏付けとする貨幣発行&交換システムが登場する。

サム・ジアンカーナ ケネディ家の友人
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