公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

僕らの授業時間

2011-01-04 19:51:00 | 北海道
丹波哲郎/谷隼人/野際陽子/大川栄子/千葉真一
 僕らが小学校で勉強した1968年(5年生)の学習指導要領改訂後から1977年(大学1年)までの期間、小学校の授業は六年間で5821時間、中学校3535時間であったらしい。戦後最も長い授業時間だった。今は小学校が5367時間、中学校が三年間2940時間らしい。

キイハンターを楽しみにしていた。
理想の大人は千葉真一さんだった。

 この時北海道は46協定*などというものがあって、校長はずいぶん気を使ってたのだろう。1時間まるまる無駄話をして時間をつぶしている教師が多かった。教師の方が時間の長さについてゆけなかったのだろう、そっちの話のほうが記憶に残っている。好き勝手に話していた。司馬遼太郎ファンは日露戦争、日本海会戦の回頭作戦のはなし。映画ファンは望郷やカサブランカの話。それなりにおもしろかったから覚えているのだろう。北海道にはいい加減な教師が多かった。

*昭和46年に北海道教育委員会と北教組との間で取り交わされた労使協定。(1)勤務先は学校でなくてもよく、研修(有給)扱い(2)夏休みは校外研修で帰省も自宅研修と扱う(3)超過勤務は国が定めた条件よりも厳格に運用する(4)勤務にかかわるあらゆる問題は組合交渉にする(5)通知は組合にあらかじめ示した上で流す−といった13項目からなる。文科省の指導で平成13年に違法性が高い協定の一部が破棄されたが、北教組は猛反発。20年末に完全破棄されたが教育現場に大きな変化は見られなかった。

教職員の勤務条件に関して、道教委と北教組が1971(昭和46)年に結んだ。「原則的に時間外勤務を命じない」など13項目が盛り込まれた。現場の組合員の裁量が多く認められ、校長会から「校長による学校運営が阻害される」などの批判も出され、道教委と組合との間で取り扱いが長年の懸案になってきた。01年3月に道教委は「(夏休みなど)長期休業中の帰省は自宅研修扱い」など5項目の削除を通知したが、北教組は現在も削除を認めていない。
(2007-02-28 朝日新聞 朝刊 北海道総合)
嘘の研修報告
2011年度当初に実施された会計検査院の勤務実態調査は、研修場所を図書館としていた校外研修計画書・報告書の期日が図書館休館日であり、北教組所属の教職員らが嘘の報告をしていた証拠を押さたことを明らかになった。研修報告が、教材研究など数行の記述であったり、成果物も本のコピー1枚であるなど、研修の実態を伴わないものだったことから、勤務実態調査は、同年10月全道を対象とした調査へと移行した。公立学校の教職員に支給される給与は、国が義務教育費国庫負担金として3分の1を補助しているため、調査時期のヤミ専従分だけで、勤務時間中に活動していたのに不当に北教組の教師らに支払われた「給与」に対する国への返還金の規模は数億円に上っている[23]
「北教組の「ヤミ専従」全国規模で調査へ 国庫負担金返納も 会計検査院」, 2010年9月20日,産経新聞

逸話

第1話

プロデューサーの坪井久智は、深作欣二が第1話だけで2か月費やして撮っていたので困り果てていた千葉真一と深作はこれまでになかったドラマを作ろうといろいろなアイデアを出し合い、作品の方向性を決定づけていく。第1話のゲストである南原宏治は、これを皮切りに最終回第262話を含め、計19回ゲスト出演した。

海外での反響

海外でも放映され、千葉真一の演技やアクションにブルース・リーは深い興味を示し共演の申し入れをしてきたが、ブルースの突然の死により実現しなかった。ジャッキー・チェンは千葉の大ファンで、スタントマンに頼らず、千葉自身が演ずるアクションに刺激を受けて惚れこんでいた千葉のような「アクションスター」になることが夢だったジャッキーが、スターと認められだした頃に東映京都撮影所へ千葉を表敬訪問している


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