公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

われわれの事業は何か

2010-07-21 17:54:47 | 日記
「『われわれの事業は何か』この問いは、事業の開始時や危機において発すればよいというものではない。逆に、事業がうまくいっている時にこそ発し、十分に検討するべきである。なぜならば、この問いを怠るとき、直ちに事業の急速な衰退がやってくるから
である。たとえば、新しい製品を開発した者が、訪問販売をしている段階では、その製品の優れていることを知っていればよい。
 
 しかし製品が売れ始め、人を雇って生産し、販売するようになった段階、訪問販売を続けるか、小売店を通して販売するかを決める段階、デパート、スーパー、雑貨店のいずれで販売するかを決める段階、そして、製品のラインナップに、いかなる製品を加えるかを決定する段階では、「われわれの事業は何か」という問いを発し、それに答えを出すことが最も重要なこととなる。
 
 もし成功しているときに、この問いへの答えをおろそかにするならば、いかに優れた商品であっても、再び足を棒にして自ら行商する羽目に陥る。」
      ドラッカー 「現代の経営」 上田惇生訳 ダイヤモンド社

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この問いは難しい。遠い目標だけが現在目的ではないが、現在の活動が将来の活動に対してどのように影響するのかしっかりと認識しておかなければならない。
たとえばコストである。我々の事業は何かということは、どのようなコストを許容するかということである。

事業はまずコストから誕生する。その後に目標が発生するという逆転した成長から始まる。
極論を言えば、事業には目的がない状態が大いにあり得る。仕入れが安く、あるいは資金が豊富でコストが許容されれば、なんでもやる目的のない会社もあり得る。多くの成功している起業家はこの路線が多い。社会的役割や未来社会ビジョンを目指す経営は苦しいが、この時の苦しいコストは許容しなければならない。
わたしはJTという会社がそのような定見のない経営のよい例だと思う。健康を害しながら健康を訴えるという自己矛盾は事業定義から失敗しているが、だからといって潰れるわけではない立派な会社だ。少なくともドラッカーはこういう会社を現代の経営とは言っていない。
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