公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

戦術 ーリーダーシップは市場で調達できるー

2010-07-22 09:02:58 | ドラッカー
『個人が常に上達しようと心がけることで組織は強化される。』【ジーコ】

 「戦術」の無いジーコらしいお言葉です。
 彼のやりたいサッカーはナポレオンの戦術と同じ会戦中の戦線変更で、本来ならば、最強のありかたとなるはずだった。しかし組織が定める決め事の好きな日本人にとっては、現場の不安を増幅させるだけでこのようなプロフェッショナリズムの鼓吹は効果がなかったか、浸透度の違いにより意識を分裂させ逆効果だった。代表では最後まで馴染んでいませんでした。日本では唯一鹿島アントラーズだけがこれを体得している。彼らの戦い方は勝つことから逆算されている。だから見ていて、面白いというサッカーではなく、全体の戦力を犠牲にして僅かな勝機を確実に点数にするというスタイルだから、つまらなく上手い。もっとスペキュタキュラになれば人気が出るのだが、玄人うけしてる。

『リーダーシップの本質は1.リーダーシップを仕事とみること。2.リーダーシップを責任と考えること。3.信頼が得られること。』

と、ドラッカーが言うようにリーダーシップをプロの仕事と考えるそういう精神が日本人には欠けている。リーダーシップは市場で調達できる。そういう社会が強い社会、強いチームなのです。

 坂本龍馬やグラバーのやっていたことは本質的に国を動かすリーダーシップでありプロの仕事なんだが、日本人は前者を志士であり、後者は商売人(武器商人)であると反射的に分類している。どちらもプロだというふうに並べて唱えると白い目で見られる。

 天然のタレントは必要ですが、天然味では通用しない。しかし日本人は天然を好む。なにか人造的でないもが善であると思い込んでいる。私たちの住む社会は縄文の天然ではない延長された自然、変動相場で変化する価値の上の社会なのだから、善とか真とかは関係ない。
 政治家の家に生まれて政治家になることが当たり前なこの國ではまだプロフェッショナルなリーダーシップ、道具としての政治家がわかってもらえない現実の壁がある。
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