公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

『岸信介回顧録』 2 岸信介

2016-11-02 16:11:32 | 今読んでる本
北方領土についての米国務省の覚書
米政府は歯舞諸島が完全に日本の領土の一部であり、これをソ連が不法に占拠しているという日本政府の主張を支持する。ヤルタ協定一九五一年サンフランシスコ平和条約も(略)これらの文章中の千島列島には歯舞、色丹、あるいは択捉、国後は含まれていない。」p318









米国の認識が自民党政府の認識となり四島返還の運動の事実上の政治根拠になった。

岸改造内閣
「田中角栄氏は私の判断で選んだ。(略)仕事をテキパキと片付けてぐずぐずしないところが気に入ったからである。」p354
第1次岸内閣
改造内閣-昭和32年7月10日改造
内閣総理大臣 岸 信介
法務大臣   唐澤俊樹
外務大臣   藤山愛一郎
大蔵大臣   一萬田尚登
文部大臣   松永 東
厚生大臣   堀木鎌三
農林大臣   赤城宗徳
通商産業大臣 前尾繁三郎
運輸大臣   中村三之烝
郵政大臣   田中角榮 ここで田中角栄が大臣デビューする。39歳
労働大臣   石田博英##(いしだ ひろひで、1914年(大正3年)12月12日 - 1993年(平成5年)10月14日)は、日本の政治家。位階は正三位、勲章は勲一等旭日大綬章。あだ名は「バクエイ」(博英の音読み)。
衆議院議員(14期)、労働大臣(第14・17・18・22・23・39代)、運輸大臣(第47代)、内閣官房長官(第16・17代)、衆議院議院運営委員長(第6代)、二日会会長等を歴任した。

##この石田は、KGBのエージェントであったことが二つの出処の異なる証言で確定している。その孫が三宅雪子没年月日
2020年1月2日(54歳没)

『元ソ連国家保安委員会(KGB)の在日職員で、1982年にアメリカに亡命したスタニスラフ・レフチェンコの証言では、石田が「フーバー」というコードネームを持つKGBのエージェント(スパイ)であったと指摘した(レフチェンコ事件)。
しかし、日本の警察とCIAによりレフチェンコ事件の調査が行われていた1983年に突如石田が政界を引退したことで、石田に対する捜査は終結し、機密情報の漏えいは無かった事とさた。』『石田の秘書を経験してから政界入りした人間は多く、同じく労相経験者でその後「二信組事件」で逮捕された山口敏夫、新党さきがけの理論的指導者であった元経済企画庁長官の田中秀征、元衆議院議員で荒川区長の西川太一郎、元衆議院議員の中島政希らがいる。』
Wikipedia

建設大臣   根本龍太郎*
国家公安委員会委員長
       正力松太郎*
首都圏整備委員会委員長
       根本龍太郎*
行政管理庁長官
      ※石井光次郎*
北海道開発庁長官
      ※石井光次郎*
自治庁長官  郡 祐一
防衛庁長官  津島壽一
経済企画庁長官河野一郎
科学技術庁長官
       正力松太郎*
内閣官房長官
       愛知揆一
総理府総務長官
[昭32.8.1設置]

内閣官房副長官
昭32.7.12-田中龍夫
内閣官房副長官
昭32.7.12-岡崎英城
総理府総務副長官
[昭32.8.1設置]
昭33.4.22-
上村健太郎

画像は無関係





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