ゴイムは人間ではない
パラサイトという映画を見ただろう。その中で便所興梠を指で弾く冒頭のシーンに全てが含まれている。クールで優しいのは金があるから。文化や道徳が崩壊した便所興梠の世界。人間こそが便所興梠だった。彼らこそゴイム適応者です。
他方日本人がいかに古代ユダヤ人、より正確にはヘブル人の文化的生き写しであるかを物語るエピソードがトーラー(虎の巻と同じ意味だよ)の中に語られているので紹介しましょう。時はモーゼが生まれたばかりの頃
エジプトの王パロの娘が籠を川の瀬の葦の間に見つけた。開けてみると、「彼女は幼な子──男の子であった──が泣いているのを見た。彼女はかわいそうに思って言った、『これはヘブル人の子供です』」(出エ2・6)
『パロの娘は、泣き声を聞かれないよう自制しつつ泣いていたのを見て、すぐにこれは「ヘブル人の子供の一人にちがいない」と思った。ヘブル人の子供だけが、部外者に泣き声を聞かせることなく、心の内側で泣くことができるのだから。ヨセフも知っていたように、ヘブル人の子供は、一方で外なる世界に対しては世間体をつくろいながらも、泣く時には同族の中で泣かなければならないということを知っていた。』
特に下線部の記述どうですか?日本人なら心当たりはあるんじゃないですか?幼な子モーゼが死の淵に流された姿をパロの娘は聞いたのではなく、見たのです。旧約聖書に伝承された事実。これでも古代ユダヤ人ヘブル人は日本人に近くないと言いえますか?直感に従える心をお持ちならNOでしょう。顔で笑って心で泣いて、日本人にも厳然とした内と外の原理がある。日本人にとって戦は常に外だったからこそ日本人はフビライ戦争以来外敵から内なる日本を守ることができた。戦国時代の内なる日本は自ら非常に小さな単位に貶めた。それが百年も続いたのは為政者の責任であって日本人の精神の消滅でないことはその後の統一によって示された。大東亜戦争も負けて終わったが、その国柄を決めた原理 内と外は失われなかった。顔で笑って心で泣いていたのだ。
さてその後のユダヤ人の歴史は別の民族に知恵だけを盗まれて真反対の暗黒世界へと落ちてしまいます。ヘレニズム(ギリシャ主義)に染め上げられた後に何度か神殿の本来の清浄さを取り戻そうとしましたが古代イスラエルの民に戻ることはありませんでした。イスラエルに残った人々は逼塞と流浪を強いられたのです。ただ異教徒特権だけがヨーロッパで都合よく利用された。
「最終的には、我々の運動につくす少数の金持ち、および我々の利益を守る警察と兵士と、プロレタリアートの大衆が残ればいい。ゴイムに殺し合いをさせるため、大々規模の武器増強が開始されなければならない。」マイヤー・アムシェル・ロスチャイルド(独: Mayer 1744年2月23日 - 1812年9月19日)は、ドイツの銀行家。ヨーロッパの財閥ロートシルト家(英語読みでロスチャイルド家)の基礎を築いた。)このほかにも24項目の戦略的経営を語った。マイヤーの死後およそ100年かけてロスチャイルド家は世界の富を支配する一族になった。
マルクス宛の手紙
ユダヤ人は
プロレタリアの勝利によって次々に世界共和国の一部となっていく諸国家の支配権は、これらプロレタリアを指導する我々ユダヤ人の手に容易に収めることができます。要するに、プロレタリアの勝利は私有財産の廃止をもたらし、こうして公有財産となった他民族のあらゆる私有財産は、公有財産を管理するユダヤ人の支配下に入るのです。かくして我々ユダヤ人のメシアが到来するとき、ユダヤ人は全世界の民の財産をことごとくダビデの星の下につかさどるであろうと言い伝えられてきたタルムードの予言が実現されることでしょう。」バルーフ・レヴィ
を我がものにする
原文に近いという英語版では
"ユダヤ人は全体として独自の救世主となるだろう。 この新世界秩序において、イスラエルの子供たちは、反対することなく、すべての指導者を供給するだろう。ユダヤ人は全体として独自の救世主となる
集団救世主論へのすり替えがここで行われる。
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救世主としてのユダヤの存在による人間の解放の達成と言っている。前衛党はこの時点でマルクスの主張本質ではない。しかし20世紀になり破壊のためにはマルクス主義者は前衛党を持つことになる
ゴイムではない唯一の種としての存在するユダヤ人による人類全財産の(自らから切り離さない疎外されない)直接の管理実現、これがマルクスの周辺にいた者すなわちプロレタリアートの目指す共産主義に対応するものである。
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私は宇野正美の講演を聞いて陰謀論めいてこれを書いているのではない。はるかに昔のマルクスとユダヤ人との書簡に書かれているのだから、気づかないのはあなたも私もこれまで勉強不足だっただけと思うべき課題です。
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マルクスの時代にフランキズムを掲げて社会運動を起こしたため、これを機にユダヤ教シャブタイ派思想の再流行が見られた。フランクは自らがシャブタイ・ツヴィ#の生まれ変わりであると主張した。フランク主義者(サバティアン・フランキスト)の多くはユダヤ教の伝統的なモラルを無視して放蕩にふけり、シャブタイ派思想の本質的な部分をさらけ出していた。フランクも同様に仲間を集めて擬似家族と小規模な王国を作り、仲間内で近親相姦を繰り返していた。」これが現在のシャブタイ派トルコのドンメ派につながる。フランキズムの変形がドイツ左派哲学ヘスに合流したのがマルクス主義である。
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1666年9月16日(ユダヤ暦5426年のアルールの月の16日)、大勢のユダヤ人を巻き込んだ茶番劇に終止符が打たれることになる。エディルネにてスルタンの御前で裁かれたツヴィには、死刑かイスラム教への改宗かという選択権が与えられたのだが、彼は後者を選択した。ツヴィの改宗という予想外の出来事が信奉者に与えた衝撃は計り知れないもので、彼らの多くはツヴィに寄せていた壮大な期待を断念し、なかにはユダヤ教自体に見切りをつける者もいた。
マルクスは「ユダヤ人問題」の中で市民生活の自己分裂をユダヤ人に向けて言う。この時ユダヤ人であるマルクスはユダヤ人の政治的目的は種族としての国家の回復であることを仄めかしながら、「完璧な政治国家は、その性質上、人間の物質的生活とは対照的に、人間の種族的生活である。このエゴイスティックな生活のすべての前提条件は、国家の領域外の市民社会にも、市民社会の特質として存在し続けている。政治国家が真の発展を遂げたところでは、人間は、思想や意識においてだけでなく、現実に生活においても、天上の生活と地上の生活の2つの生活を営む。すなわち、自分を共同体の存在とみなす政治的共同体における生活と、私人として行動し、他の人間を手段とみなし、自分を手段に堕落させ、異質な権力のおもちゃとなる市民社会における生活である。政治国家と市民社会の関係は、天と地の関係と同様に、精神的なものである。政治国家は、市民社会と同じように対立しており、宗教が世俗の狭さに勝つのと同じ方法で、後者に勝つ。すなわち、同様に、常にそれを認め、それを回復し、それに支配されることを許さなければならない。最も身近な現実である市民社会において、人間は世俗的な存在である。ここでは、自分を実在の個人とみなし、他人からもそうみなされているところでは、人間は架空の現象である。一方、国家においては、人間は種族的な存在とみなされ、幻想的な主権の架空の構成員であり、現実の個人生活を奪われ、非現実的な普遍性を与えられているのである。」
これこそがゴイム(非ユダヤ教徒)の叫びだ。それさえも集団的救世主ユダヤ人(種族的存在としての人間)のために利用しようと言う新しい国家回復の運動観がマルクスがバルーフ・レヴィに対して用意していた回答である。
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道徳的腐敗(酒、金、麻薬、異常セックス、カニバリズム、近親相姦、殺人、そのための洗脳、生贄の要求、全能の自己階層を愛する自尊心名誉欲)を武器として特権集団を、対立する異宗教(カトリック、イスラム、本来のユダヤ教)のなかにセクター(セクト)をつくるという戦略は共産主義ロシアでも同じ。その米国版がフランクフルト学派マルクス主義だ。フランクフルトが地理的偶然ではない。マイヤー・アムシェル・ロスチャイルド(ロートシルト)の聖地原点がフランクフルトである。
ちなみに現代のフランキストDSがイスラムを憎むのは、麻薬消費拡大の邪魔者だから
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ユダヤ王は真の世界の法王、世界にまたがる教会の総大司教となる。
あなたは、あなたの神、主の聖なる民である。あなたの神、主は地の面にいるすべての民の中からあなたを選び、御自分の宝の民とされた。
世界はただイスラエル人の為にのみ創造されたるなり。イスラエル人は実にして、他の民は空なる殻皮のみ。従ってイスラエルの他に民族なし。彼らはここでちょっと、歴史を振り返ってみましょう。私は、ポリティカル・コレクトネスの始まりは、1960年代の反ベトナム戦争の抗議活動だと考えています。これは厳密には、その時に、ポリティカル・コレクトネスがアメリカの社会で目立つようになり始めた、ということです。 ポリティカル・コレクトネスの本当の始まりは、1920年代にドイツのマルクス主義の哲学者グループが、フランクフルト学派を創設したことです。彼らの目標は、西洋文明を崩壊させることで、この世界に完璧なマルクス主義の社会を作り上げることでした。しかし、第一次世界大戦という惨事の後で、革命どころではないヨーロッパの労働者たちは、狼狽しました。そうしたメンバーの一人、エーリヒ・フロム氏が、「男性と女性の役割は社会によって決められており、これは抑圧的である」という考え方を提唱しました。
ヘルベルト・マルクーゼ(Herbert 1933年からフランクフルトの社会研究所につとめ、フランクフルト学派の一員となったが、1934年アメリカへの亡命を余儀なくされ、1940年に帰化した。初期マルクス研究、労働疎外論の流行の草分け。第二次世界大戦中はアメリカの対ナチス政策に協力した。マルクーゼは1898年7月19日にベルリンで生まれた[1][2]。1928年から1932年の間、フライブルク大学でエドムント・フッサール、マルティン・ハイデッガーのもと、ヘーゲル、マルクスを研究した。
1933年からフランクフルトの社会研究所につとめ、フランクフルト学派の一員となったが、1934年アメリカへの亡命を余儀なくされ、1940年に帰化した。第二次世界大戦中はアメリカの対ナチス政策に協力した。
1952年からコロンビア大学で政治哲学の教授として教鞭を執り、1954年から1965年までブランダイス大学の教授、1965年からはカリフォルニア大学サンディエゴ校の教授。1969年に『解放論の試み』を出版し、アジア・アフリカの解放には、共産勢力の強化より、資本主義国の弱体化が必要と訴えた[3]。
- ^ “Herbert Marcuse”. スタンフォード哲学百科事典 (2019年4月10日). 2018年9月2日閲覧。 “Herbert Marcuse was born on July 19, 1898 in Berlin.”
- ^ “ヘルベルト マルクーゼとは”. コトバンク. 2021年10月11日閲覧。
- ^ ジョン・ダワーのノーマン再評価で日本悪玉論拡散岡部伸、『歴史通』2015.7月号
- ^ Douglas Kellner. "Illuminations: Kellner". Retrieved October 1, 2012.
フランクフルト派
反日の始まり:日本人軍人の協力があって『1965年のインドネシア共産クーデターが阻止され、反共を掲げる東南アジア諸国連合(ASEAN)が創設された。そこでニュー・レフトの理論的指導者、カリフォルニア大学のヘルベルト・マルクーゼ教授が1969年、『解放論の試み』を出版し、アジア・アフリカ諸国で共産革命が進まないのは、革命闘争を欧米の資本主義国が豊富な資金と武器援助によって抑圧するためと分析し、アジア・アフリカの解放には、共産勢力の強化より、資本主義国(つまり日本)の弱体化が必要と訴えた。』『重要なエリート・スパイとなってGRU(ソ連軍参謀本部情報総局)とKGB(ソ連国家保安委員会)から「マグニフィセント・ファイブ(素晴らしき五人組)」と呼ばれた「ケンブリッジ・スパイ・リング」との接点だった。』『コロンビア大学で博士号を取得したカナダ在住のトロント大学のジェームズ・バロス教授がカナダや米国などの情報機関の機密文書を渉猟歩して著した『全くの悪気もなく─ハーバート・ノーマンのスパイ事件』(James 1909年9月1日 - 1957年4月4日)は、カナダの外交官。日本史の歴史学者。日本生まれ。ソ連のスパイの疑いをかけられ自殺した。渡辺一夫・中野好夫・桑原武夫・加藤周一らと親密に交流した。特に重要なのの1946年にGHQが戦前の日本の政党の活動を禁止した中で日本共産党だけはノーマンの助言でこの禁止を受けなかった。これが学生時代の左翼活動と相まってその後のソビエトスパイの容疑に大きく影響する。吉田茂の研究で博士号を取得した。ジョン・ダワーは2010年代に日本破壊の立場に転換し米国における反日理論の中心となっている。このような米国アカデミーの脱ライシャワー主義(ライシャワー主義とは軍の国粋主義者を葬れば日本人を自由主義化できるという理論)の台頭がこのところの韓国中国による執拗な反日プロパガンダ、映画を通じた洗脳と無縁ではない。
この批判理論こそシャブタイ派セクトの中核がマルクス主義者の延命を通じて現代に生き残った本当の幽霊であった。この幽霊は形を持つ、そして人間を物質で支配することで最終的奴隷になるものを残して全て撃ち殺す。その弾丸、これこそがアヘン、opioid初めは無害に見えるが次第に強い薬に人間が支配される。
この批判理論こそシャブタイ派セクトの中核がマルクス主義者の延命を通じて現代に生き残った本当の幽霊であった。この幽霊は形を持つ、そして人間を物質で支配することで最終的奴隷になるものを残して全て撃ち殺す。その弾丸、これこそがアヘン、opioid初めは無害に見えるが次第に強い薬に人間が支配される。