公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

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散歩 偉人の石碑 岩田太郎翁

2024-02-07 20:02:00 | 日記

岩田太郎翁

遠隔の専業地から持ち込まれる粗悪な蚕種(蚕の卵)に悩まされることが多く、したがって、優良蚕種が安定して供給されることは、多くの養蚕農家の願望だった。その蚕種の品質改良・製造に大きな足跡を残したのが、高野村の岩田太郎氏である。

 明治二十五年(一八九二)、父の遺業である蚕種製造業を継いだ太郎氏は、蚕種の改良を重ね、優良品の製造に努めた。特に静岡県で製造法を会得した四化蚕種は各地で好評を博すこととなり、茨城県が全国有数の四化蚕種生産県となったのは、岩田太郎氏の功績が大であったといわれている。』守谷町

 

知られざる日本の養蚕ーー近代から現代まで続く「科学知」と「信仰心」(沢辺満智子) | Fashion Tech News

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ファッション産業を支えてきた代表的な素材として、絹/シルクがある。日本においては、昔から着物などで親しみ深く、今なお世界中の人々を魅了する高級素材として高い人気...

 


蚕種製造:農林水産省

 


岩田 太郎(いわた たろう、1871年11月26日明治4年10月14日) - 1936年昭和11年)5月16日)は、葛飾県相馬郡高野村(現・茨城県守谷市高野)出身の実業家・大日本蚕業研究会講習所設置者。

重要な産業であった生糸の養蚕の発展に努め、大日本蚕業研究会講習所を設置した人物である。岩田家は高野村の名主を務めていた家で、定吉が1868年明治元年)より蚕業を始め、太郎は家業を次いで良質な蚕種の開発に努めた。1895年明治28年)には高野村の農会結成と同時に会長となり、蚕業の開発の成果が出ると全国に普及させるため、1896年(明治29年)に北相馬郡高野村大字高野92番地(現・守谷市高野92番地)に大日本蚕業研究会講習所を設置した。講習所の設置後は会報「蚕業の友」を毎月発刊し新説や実験の発表を行い、読者数は15,000名、会員数は4,000名を超えた。

講習所は定員30名としていたが開所当初より受講希望者が全国から殺到し、3月20日 - 4月18日までを学理を習得する一期、4月19日 - 7月10日までを実習を行う二期に分けて講習を行った。しかし、さらに受講希望者が増えたために校舎を拡張し、7月6日 - 9月10日までの講習期間を設けて三期制とした。年度ごとに代わる講師には農学博士をはじめとする蚕業界の権威者を招き、文学士なども招かれた[1]。その功績が広まった1907年(明治40年)11月には、宮内大臣を通じ明治天皇より激励の言葉を賜った。

しかし、重工業がメインとなると共に蚕業は衰退し、1924年(大正13年)7月の第24回講習生を最後に大日本蚕業研究会講習所は閉鎖となった。その後は専任教師大竹長之助が教場を守谷町城内(現・守谷市本町)へ移す形で継承し、蚕紙製造業も併せて行われるようになった[1]

岩田太郎は講習所からは一線を引いたものの、蚕業界に貢献するために事業計画を立てていたがとなり、1936年(昭和11年)5月16日に高野村にて65歳で死去した。生前には1929年(昭和4年)3月に蚕種同業組合の名誉顧問へと推薦されるまでに17種の名誉職へ推薦されているほか、死後も「岩田太郎翁紀功碑建立賛助会」が結成され、内地のみならぬ朝鮮にも会員を有した。

紀功碑は1941年(昭和16年)11月茨城県水戸市愛宕町にある茨城県蚕業試験場構内に建立され、第二次世界大戦後に試験場と共に同県真壁郡関城町(現・筑西市)に移され、最終的に岩田太郎の生誕地であり、大日本蚕業研究会講習所の所在地でもある守谷市高野へと移された。

 

以下引用
昭和 11 年(1936)、太郎はこの世を去った。 長逝が伝わると、故人の業績を後世に残そうと「岩田太郎翁紀功碑建立賛助会」が結成された。 同紀功碑は、昭和 16 年(1941)、東茨城郡 常磐村(現水戸市愛宕町)に本場があった茨城県蚕業試験場の敷地内に建立された。 同試験場は、真壁郡関城町関本(現筑西市関 本 )に支場 が あ っ た 。 昭 和 3 7 年( 1 9 6 2 )、 本・支場の統合が図られ、県蚕業試験場は 関城町に置かれることになった。これに伴い、 本場に建立されていた同紀功碑も関城町に 移転した。
このことが『広報もりや』に載った「何故に 異郷である関城町へ移したか」という指摘の 背景にある。『守谷町史』は、その後の動きを「最近守谷町の有志によってその碑を太郎の 故郷たる守谷町に移す運動が起こり、やがて それが具体化することになる」と紹介。
昭和60年(1985)、同紀功碑は関城町の 同蚕業試験場から、始まりの地である
写真の場所
撮影は2024/02/07

高野小学校敷地の隣
 
守谷町 高野(現守谷市高野)に移転された。故郷に養蚕業は、良質な蚕種に左右される。良質な 蚕種開発は、養蚕業にとって大きな課題だった。
太郎の父は、蚕種研究に取り組み、現在の 多摩地域山梨、群馬などに蚕種を販売して いた。太郎は父の跡を継ぎ、自らも蚕種開発 に取り組み、成果をあげるまでになった。
太郎は、その成果を発信する『蚕業之灯』の 発刊とその技術を伝える「養蚕伝修所」(後に 「蚕業講習所」と改称)を設立した。いずれも
明治 29 年(1896)、太郎 25 歳の時である。 同所は、北相馬郡高野村(現守谷市高野)の 屋敷内に建設。『蚕業之灯』の読者は 1 万 5 千 人余、講習の受講を希望する者も全国から殺 到。定員 30 名 2 期制の講習から、学舎増設し3期制にして対応した、という。
明治 35 年(1902)、太郎は同志と共に、大 日本蚕業研究会を創設。会員数は 4 千人余を
数え、太郎の名は全国に知れ渡った。 しかし、国内産業は重工業に比重が移り始 めていた。
大正13年(1924)、第24回生を世に送り出したのち、同所は閉鎖された。
 
建った紀功碑は、太郎の進取と共有の精神を 地元に発信し続けることだろう(文中敬称略)。
主な参考文献
『守谷町史』(昭和 60 年、守谷町発行)、『茨城蚕糸の歩み』(平成 2 年「、茨城蚕糸の歩み」編集委員会編集、 茨城県農林水産部蚕糸課発行)、『広報もりや』 第 124 号(昭和 50 年発行)。
守谷市立高野小学校正門左脇に建つ「岩田太郎翁紀功碑」 =守谷市高野(筆者撮影)
 
歴史ジャーナリスト
茨城県郷土文化研究会 会長 ヒタチノデザイン研究所 所長
冨山章一
2021年 10 月号  筑波経済月報 9 より引用
 

「養蚕用除菌洗浄剤」はエンテロコッカス属の細菌にも有効
当研究所の野澤主任研究員は、人工飼料育で問題となる Enterococcus 属種の細菌に「養蚕用除菌洗浄剤」が有効
であることを「欧州標準法」とよばれる国際的手法で明らかにした。多少の汚染条件下でも、除菌洗浄剤の次亜塩
素酸ナトリウム濃度を調整することで対応できるため、今後の有効活用が期待される。研究成果は 2023 年 6 月に、
日本蚕糸学会刊行の“Journal of Insect Biotechnology and Sericology”に掲載された。
養蚕用除菌洗浄剤は、ホルマリンに替わる消毒手段として、野澤・代田(2012)により開発された塩素系のアル
カリ除菌洗浄剤で、食品添加物に指定されている3つの化合物(次亜塩素酸ナトリウム・炭酸ナトリウム・テトラ
ポリリン酸ナトリウム)から調製可能。ホルマリンと同じように、カイコに感染する各種病原体(ウイルス、糸状
菌、原虫および細菌類)を5~15 分程度で消毒し、強力な防錆効果と洗浄作用も期待できる点に特長がある。
開発者のコメント「次亜塩素ナトリウムは、強アルカリ条件下で次亜塩素酸イオンに変化する。このイオンの状
態では細菌細胞膜を透過できないため、細菌に対する殺菌効果に不安があった。今回の研究から、人工飼料育で問
題となる主要な Enterococcus 属種(E. faecalis, E. faecium および E. mundtii)にも有効性が確認されたので、自信を
もって殺菌効果をアピールしていきたい」

 

 

 

考古資料 守谷市公式スマートフォンサイト-Moriya City

 

いずれ同じ散歩道、こちら石田庄七翁も解説が必要かな。岩宿遺跡#

#1946年昭和21年)頃、当時在野の考古学者であった相沢忠洋によって発見された。この発見によって、それまで土器時代以前の日本列島に人類は居住していなかったとされた定説を覆し、日本にも旧石器時代が存在したことが証明された。これ以降、日本全国において旧石器時代の遺跡の発見が相次ぐことになった。相沢忠洋の偉業は後世に受け継がれた。#

これよりも遥か前に旧石器の遺物を発見していた偉人である。この人工分布の推移を見れば、日本人の原点は群馬や茨城南部 千葉北部あたりあったとしてもおかしくはない。





石田庄七氏は、自家の所有する郷州原の山林から多くの石器、土器などの埋蔵文化財が出土すると、これを大切に保管するとともに、出土地に発掘記念碑を建立した。時に昭和十九年(一九四四)四月ニ十九日。文化財保護法が制定される昭和二十五年(一九五〇)五月に先んじること六年のことだった。たぶん郷州原は日本人発祥の地であろう。


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