思考を知るためには非思考的なものをトコトン知る必要がある。
庭の石
池の睡蓮
壊れかけた蜘蛛の巣
そよぐ笹山
すすりのこしたところてん
意外にも、これらすべてが、思考。
思考とは縁のないものに答えを見出せる感性
感性こそ思考そのものと考えている。
思考に関するこの感覚は西欧とは大いに違う。
西欧の哲学は思考を個人の生の答えをおのれに定立する所作と考えるが、
これに対して
私の考える哲学では、思考とは、
生と縁のない死(絶対他者)を感じるこの和身魂(にぎみたま)に答えを見出す所作である。
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第八霊境 直霊(なおひ)開発 神の姿を拝むことができると同時に神の声を聞くことができる、鎮魂の本殿ともいうべき境地だ。 鎮魂によって直霊が開発されると、その流れを遡(さかのぼ)り、前生(ぜんしょう)、前々生、前々々生、過去の過去の過去に転々と遡り、宇宙根本大本体である天御中主太神に到達する。未来を追って、未来の未来の未来を追って行くとやはり宇宙根本大本体である天御中主太神に到達する。
過去、現在、未来の三世があり、過去の一世に三世を含み、現世の一世にも三世、未来の一世にも三世を含む。これらは相互に関連して転々と流れ出て、流れ止まり、流れ去る。これを「神流(かむながれ)」という。「神流」は荒身魂の流れであり、和身魂(にぎみたま)や直霊(なおひ)の流れは「かむがら」という。
氷川雅彦. 川面凡兒: 日本人の霊性に多大な影響を与えた神人【リフロー版】 (Function). Kindle Edition.
氷川雅彦. 川面凡兒: 日本人の霊性に多大な影響を与えた神人【リフロー版】 (Function). Kindle Edition.
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「1928年(昭和3年)7月、凡兒は自著を撫でながら、「こうして本を書いておいたから、君たちは世界のどこへでも好きなところへいって布教してくれ。自分は近いうちに死ぬかもしれないぞ」と語った。死期を予知していたのだ。 死が迫った師走の末に、凡兒は稜威会の機関紙に載せる和歌を翌年の3月号分まで書き、その中に次のような辞世の歌を詠んでいたのだった。
思ひたけびたけびて遠くこの道を ひろめつつわれ天かけりゆく
※ 翌1929年(昭和4年)2月23日、凡兒は「死んでもまた転生して、国家、世界、宇宙のために尽くさねばならぬ」と言い遺(のこ)し、平然と帰幽した。 凡兒は、死は決して悲しむべきものではなく、生もまた狂喜するほどのものではないと説いていた。日ごろ善根を積んでいる人は、死ということが何ら苦痛なく、あたかも故郷へ帰るようなものだという。 人間は死ぬと、その肉体=荒身魂(あらみたま)は墓に眠り、意識=和身魂(にぎみたま)は霊代または位牌に宿り、根本中心の直霊(なおひ)は、宇宙大中心の瑞(みづ)の大天照宮に帰り、また、この世に再生する──。
氷川雅彦. 川面凡兒: 日本人の霊性に多大な影響を与えた神人【リフロー版】 (Function). Kindle Edition.
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デカルトの命題「我思う故に我存立す」の対偶は「我存立せざれば、我も思う事なき」や否や。答えは否である。
デカルトの思考の基礎は『私が』ではじまる小我による。私の思考についての考えを一貫するには死後の思いはもはや哲学ではない。思考は霊的上昇である。地上の祈り禊と同じハイウエイを魂がのぼる。
方法序説(叙説)中の基準
精神を導く4つの準則として
- 私が明証的に真理であると認めるものでなければ、いかなる事柄でもこれを真なりとして認めないこと
- 検討しようとする難問をよりよく理解するために、多数の小部分に分割すること
- もっとも単純なものからもっとも複雑なものの認識へと至り、先後のない事物の間に秩序を仮定すること
- 最後に完全な列挙と、広範な再検討をすること
を定めた。
この準則との出会い自身はデカルトにとっても霊的で、運命の日1619年11月10日、ドナウ川沿いのノイブルク暖炉の部屋で不思議な夢を見ている。
1現象自体の事実
2要素分解による現象の担い手の存在確認
3個別の中の実体間の均衡をとらえ仮説を立てる
4より一般について数え尽くすことができた時に法則とする
1619年10月から私による、私のリンク集