日本人にとって善悪は輸入品なので、自立した個人の存在を前提とする近代の善悪は近代以前とは善悪のあり方が異なる。善理念に向かって全責任を負う個人があるのが近代だが、それ以前の個人には善理念と個人との間には埋めるべき境界ギャップがない。よいものを祈れば個人そのものが善すなわち清められたものになる。日本人のこころは清めと穢れでできていて、近代以降はこれに善悪が加わって四つの方向の組み合わせで解釈を複雑化させた。
つまり悪で穢れたものと善で清められたものの間には、悪だが清められたもの(たたりの祀り事)善だが穢れているもの(魑魅魍魎、怨霊の祀り事)が神社装置に封じられている。前者の代表が素戔嗚であり後者の代表が将門様である。
仁徳の時代、草薙剣による祟りをおそれて遠く熱田神宮に移したという歴史も守り神が穢れたために災いをもたらすと信じていた例であろう。
新羅に持ち逃げしようとして当の道行が難に遭った(wiki地名「放出(はなてん)」について、道行が神罰を怖れ、草薙剣を「放り出した」ことが由来(はなつて→はなて→はなてん)とする説があり、同地の阿遅速雄神社ではその伝承を伝えている。wiki熱田神宮の伝承では、道行は神剣を盗み出して、かつての神宮北門の清雪門(せいせつもん)を通ったという。古来、清雪門は不開門(あかずのもん)として閉ざされたままとなっているが、これは不吉の門とされたためとも、門を閉じて神剣を再び外に出さないためともいわれるwiki)盗難事件も同じような事例。7世紀の日本人はパワーが余ると穢れる性質をもつと考えていた。
善悪がキリスト教や哲学あるいは一部の儒教から輸入される前、近代以前は悪はそれが生まれた時から悪であり善は悪のない清い状態に過ぎない。善の用心の隙間から魔が忍びこみ取り憑く。悪を禊ぎ払うのが個人と善理念の関係だった。
これは貞観年間ころから意識しされたイデオロギーとしての国防、国境概念や貞観の入寇を契機に整理された神国日本を祈る防衛と辺境域として東西南北の穢れの境、仮想敵国新羅としたことがその後の国体概念に影響を残している。
wiki貞観14年から19年にかけて編纂された『貞観儀式』追儺儀(ついなのぎ)では、陸奥国以東、五島列島以西、土佐国以南、佐渡国以北は、穢れた疫鬼の住処と明記されている[37]。こうして対新羅関係が悪化すると、天皇の支配する領域の外はケガレの場所とする王土王民思想も神国思想とともに形成された[37]。wiki川尻秋生「日本の歴史|平安時代 揺れ動く貴族社会」小学館2008,265頁
本地垂迹説が一般化し八幡神(阿弥陀如来:日蓮は別解釈)が武士の守り神(あるいは菩薩)、天照大神(大日如来)が庶民の神となって、支配層が神仏習合にシフトするのもこの頃からである。
次はこれを読む、問題の多い作品だと思う。まず祝之神事(はふりのしんじ)、相伝の神事作法だが誰も知らないのでどうとでも創作ができる。つぎにイギリスを翻弄した鍋島藩のダブルトリックだが、仮説として面白いが、事実であると確信できない。おもしろい理由はそのトリックがバレたという変化から考えると、日英同盟の破棄は納得がゆく。
「それは、自我(アイデンティティ)です。 自我に執着し、失わないようにしがみつく。そのようにして心を支えている人も多かったはずです。実は、魑魅魍魎が取り憑くのは、この自我が肥大している状態のときなのです。
そもそも、自我など幻想です。地球が変容する今、そのことに気づき、すでに自我を手ばなせる人も増えてきました。
そういう人が心の支えにしているものは「愛」です。 「愛」の理を知れば、自分や仲間を守ることができます。すべての行動が「愛」によって変わってくるからです。」
語ることが許されない 封じられた日本史 保江邦夫
保江邦夫氏は
保江邦夫さんは、今上天皇が祝之神事(はふりのしんじ)という御神事をお受けになったきっかけとなった最大の功労者で、立役者。祝之神事は、皇太子即位の際に行われる儀式のことで、天皇霊と深く繋がり、現人神(あらひとがみ)としての御力をさらに強く授かるためのものです。
霊力に大変優れていた花山(かざん)天皇、その子孫、白川家によって執り行われる祝之神事は、伯家神道(はっけしんとう)=白川神道という神道の流派が行います。大正天皇、昭和天皇、平成天皇はこれを受けられておらず、本物の伯家神道は途絶えたかと思われていました。
霊力に大変優れていた花山(かざん)天皇、その子孫、白川家によって執り行われる祝之神事は、伯家神道(はっけしんとう)=白川神道という神道の流派が行います。大正天皇、昭和天皇、平成天皇はこれを受けられておらず、本物の伯家神道は途絶えたかと思われていました。
皇室には「准后」の先例がある。
准后(准三后、准三宮とも)の運用は
1000年以上もあるので、様々。
基本的には称号。
日本国憲法でも貴族は認めていないけど、
一代限りの勲章は認められている。
准后(准三后、准三宮とも)の運用は
1000年以上もあるので、様々。
基本的には称号。
日本国憲法でも貴族は認めていないけど、
一代限りの勲章は認められている。