公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

実録 アヘン戦争 陳舜臣

2015-07-11 11:15:00 | 今読んでる本
秋霜烈日そのものが林則徐ら阿片禁絶派としたならば、寛容派の官僚もいた。むしろ多数派だった。皇帝の意をたいした万能の欽差大臣も官僚の抵抗線まで除くことはできなかった。

『三十九条の章程の中で、第十条に、気がかりな条文が見られる。官憲のみに取り締まりを許し、民間の告発は許さない。』


禁絶は帝国の分裂を招くという懸念は、習近平の今にも通じる。習近平の理想と原理は中華民族の栄光の回復復光であるから、外交は対等ではなく内政は林則徐のようなトップダウン方式であるから、危うい。

林則徐の夷国調査の成果が吉田松陰が長崎でみた「海国図志」,元は「四洲志」その元がCyclopaedia of Geography 地理大全である。林則徐なしに海国図志が日本にもたらされることはなかった。実録たる所以はここにある、日本と林則徐は情報でつながっている。

この海国図志もそうだったように、清國の情報が当時の最新知識だった。吉田松陰もこの本を読んでいるだろう。
古賀侗庵の『海防憶測』は「花燃ゆ」でも禁書として登場する。
ー出版した兵学者山田亦介は無断出版を咎められ政変の影響を受け元治元年野山獄で処刑ー
しかしテレビドラマのほうは一見してわかりやすいパソコン明朝体であることが指摘され興ざめだったらしい。時代考証学会の会長である大石学が監修している大河ドラマもこのザマである。ドラマなどで歴史を知ってはいけない。自分で本を読んで、納得できる縦糸横糸で行動の合理性を再把握してみたほうがいい。




山田亦介 長沼流兵学を学び、弘化2年(1845年)には吉田松陰(寅次郎、当時15歳)に教授している。嘉永5年(1852年)、古賀侗庵の『海防憶測』を出版した罪で隠居となり、知行も削減される。安政5年(1858年)には隠居雇として海防や軍艦「庚申丸」製造に関わり、銃士隊の編成を進言する。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 生命の虚構 | トップ | 蝉の初鳴き »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。