虚無存在は全く意志の問題であると捉えたのはショーペンハウアーだが、われわれはリアリティを再構築する生物的虚無存在に過ぎないと断じていい。生命の虚構というテーマで、五年前に始まった論究が結論を迎えたわけではない。
しかし思考実験として無情報なランダムな世界が二つあったとき、両者を区別できないならば虚である。他方、区別できれば実であるとする。
つまり原初関数が生まれる。
どうやって実となるかは、ランダム自身には制御不能である。ここまでは無生物で良い。時間軸と空間軸の中どうやって実となるか、ここに量子もつれの履歴差が関わる。履歴差が無生物のランダムを後戻りできない生命のランダム、躍動に変える。生命はそれゆえ情報の躍動であり、その原初は関数である。
数理こそがここに眠る秘密を解き明かしてくれる鍵だ。
つまり簡単のため、都合よく長い時間をかければ二つのランダムが区別ができると仮定してみよう。そうすると二つをそれぞれ二つに分けて相互に入れ替える操作を何度行なうことが可能かという推定が成り立たなければならない。
問題は単純な二項分布確率問題に変形できる。
他方、量子論は0、1、の情報を導く。重ね合わせのない純粋な密度状態はエントロピーがゼロであることが証明されている。重ね合わせのない純粋な密度状態は宇宙の始まりにしか存在しない。したがってエントロピーの増大は巨大な計算の始まりである。物質である前にand or notの回路が出来上がれば、すべての論理的複雑さは量子のもつれを通じて膨大な複雑さに到達する。それは光がまだ十分に電子の壁を越えて抜けてこない宇宙の黎明期であろうと予想される。
先の二項問題の短い時間の観察は実験物理学の実験家が試みることで可能だが、非常に長い時間をかけて、効率よく二分割を継続する実験家(自然としての宇宙)がいたならば、区別可能な集団が必然的に生まれる。しかし、無限に選択し得る(無限に選択しうる自明はすなわち非自明である)。無限に選択しうる限り自明という情報が生まれても生命には程遠い。ある物質的限定、エントロピーが減少するマクロのシステムに発展するにはさらに長い準備期間が必要である。しかしその設計は巨大計算機である宇宙が終えている。
Recombination「宇宙の晴れ上がり」と佐藤文隆博士が命名した、宇宙が約3000Kまで低下していたと推定されている38万年後にはすべてのもつれが計算機の網目となりすべての物質的進化の先の準備が意図的に整えられている。
もともと我々は無として生まれ、少なくとも無という一つの連結、空集合を持つ。
結論を仮定で申せば、この非存在の連結が私自身と言う観念の存在原因、原初的私である。その原初的私の原因が受精卵のごとき短時間では不可能であろう。長い時間変化、あるいは虚が実になるまで繰り返される単純な繰り返しの延長が何か別の変数となる原理がなければ、無という空集合定義が必然的に有限な原初的私を生み出すと定義できない。ここに小澤の不等式が関わる。なぜなら虚と実の差は原理的精度の問題であるからだ。差の累積、完全なランダムに後戻りできない宇宙の存在という根拠に生命のヒントがある。
『このように電子の位置と運動量を同時に正確に測定する方法がないことから、ハイゼンベルクは電子を「位置」と「運動量」を同時に持つ、普通の意味での「粒子」と考えることはできないとしました。実際、電子は「波」として互いに干渉する性質も示すため、「粒子」と「波」の二重性を持つ奇妙な存在ということになります。
小澤の不等式
しかし、ハイゼンベルクの式では測定誤差や測定による擾乱といった量が厳密に定義されずに使われていました。このため、ハイゼンベルクの不等式は厳密なかたちでは一般的に証明されず、不確定性原理という名で呼ぶことには支障がありました。この事情を改善するために、2003年に小澤正直氏が量子力学における測定とは何かということを理論的に定めた上で導いたものが、小澤の不等式です。
ε(q)η(p) + σ(q)η(p) + ε(q)σ(p) ≧ h/4π
この不等式の左辺の第一項はハイゼンベルクの不等式にあったものと同じですが、これに測定の誤差を示す標準偏差σ(シグマ)を含む2つの項が加わっています。
小澤の不等式は次の2つの特徴を持ちます。すなわち、(1)ハイゼンベルクの不等式は特定の状況に限定されたものであったのに対し、一般的な状況の下でも成立することと、(2)位置の測定誤差ε(q)と運動量の擾乱η(p)の両者を同時にいくらでも小さくできる可能性があることを示唆していることです。
実際、小澤の不等式では例えばη(p) = 0でもσ(p)が十分に大きければ、ε(q)もそれに応じていくらでも小さくできます。それでは、電子は「位置」と「運動量」を同時に測定できる「粒子」であるとの考えが復活するのでしょうか。いえ、この式の中で、測定の誤差を示す標準偏差に電子の「波」としての性質が反映されているため、やはり電子は通常の「粒子」ではありえないのです。
物理学では理論的な予言は実験の上で検証できて初めて確かなものと認定されます。小澤の不等式も実験で確かめる必要があります。最近、ウィーン工科大学の長谷川祐司氏によって位置と運動量の代わりに中性子が持つスピンと呼ばれる角運動量のx成分とy成分のを用いた検証実験が行われました※。この二つの物理量は、位置と運動量と同じく同時測定できない組になっており、理論的にはやはり(スピンに対する)小澤の不等式を満たします。実験的にはいくつかの異なる状態に対してこれらのスピンを2段階に測定し、その結果を持ち寄って測定誤差や擾乱、標準偏差を求め、それらから小澤の不等式の3つの項を計算します。
その和の値をプロットしたのが図2ですが、明らかにその和は小澤の不等式を満たしており、一方で第一項のみの値はハイゼンベルクの不等式の下限を破っていました。』KEK よりメモ引用
しかし思考実験として無情報なランダムな世界が二つあったとき、両者を区別できないならば虚である。他方、区別できれば実であるとする。
つまり原初関数が生まれる。
どうやって実となるかは、ランダム自身には制御不能である。ここまでは無生物で良い。時間軸と空間軸の中どうやって実となるか、ここに量子もつれの履歴差が関わる。履歴差が無生物のランダムを後戻りできない生命のランダム、躍動に変える。生命はそれゆえ情報の躍動であり、その原初は関数である。
数理こそがここに眠る秘密を解き明かしてくれる鍵だ。
つまり簡単のため、都合よく長い時間をかければ二つのランダムが区別ができると仮定してみよう。そうすると二つをそれぞれ二つに分けて相互に入れ替える操作を何度行なうことが可能かという推定が成り立たなければならない。
問題は単純な二項分布確率問題に変形できる。
他方、量子論は0、1、の情報を導く。重ね合わせのない純粋な密度状態はエントロピーがゼロであることが証明されている。重ね合わせのない純粋な密度状態は宇宙の始まりにしか存在しない。したがってエントロピーの増大は巨大な計算の始まりである。物質である前にand or notの回路が出来上がれば、すべての論理的複雑さは量子のもつれを通じて膨大な複雑さに到達する。それは光がまだ十分に電子の壁を越えて抜けてこない宇宙の黎明期であろうと予想される。
先の二項問題の短い時間の観察は実験物理学の実験家が試みることで可能だが、非常に長い時間をかけて、効率よく二分割を継続する実験家(自然としての宇宙)がいたならば、区別可能な集団が必然的に生まれる。しかし、無限に選択し得る(無限に選択しうる自明はすなわち非自明である)。無限に選択しうる限り自明という情報が生まれても生命には程遠い。ある物質的限定、エントロピーが減少するマクロのシステムに発展するにはさらに長い準備期間が必要である。しかしその設計は巨大計算機である宇宙が終えている。
Recombination「宇宙の晴れ上がり」と佐藤文隆博士が命名した、宇宙が約3000Kまで低下していたと推定されている38万年後にはすべてのもつれが計算機の網目となりすべての物質的進化の先の準備が意図的に整えられている。
もともと我々は無として生まれ、少なくとも無という一つの連結、空集合を持つ。
結論を仮定で申せば、この非存在の連結が私自身と言う観念の存在原因、原初的私である。その原初的私の原因が受精卵のごとき短時間では不可能であろう。長い時間変化、あるいは虚が実になるまで繰り返される単純な繰り返しの延長が何か別の変数となる原理がなければ、無という空集合定義が必然的に有限な原初的私を生み出すと定義できない。ここに小澤の不等式が関わる。なぜなら虚と実の差は原理的精度の問題であるからだ。差の累積、完全なランダムに後戻りできない宇宙の存在という根拠に生命のヒントがある。
『このように電子の位置と運動量を同時に正確に測定する方法がないことから、ハイゼンベルクは電子を「位置」と「運動量」を同時に持つ、普通の意味での「粒子」と考えることはできないとしました。実際、電子は「波」として互いに干渉する性質も示すため、「粒子」と「波」の二重性を持つ奇妙な存在ということになります。
小澤の不等式
しかし、ハイゼンベルクの式では測定誤差や測定による擾乱といった量が厳密に定義されずに使われていました。このため、ハイゼンベルクの不等式は厳密なかたちでは一般的に証明されず、不確定性原理という名で呼ぶことには支障がありました。この事情を改善するために、2003年に小澤正直氏が量子力学における測定とは何かということを理論的に定めた上で導いたものが、小澤の不等式です。
ε(q)η(p) + σ(q)η(p) + ε(q)σ(p) ≧ h/4π
この不等式の左辺の第一項はハイゼンベルクの不等式にあったものと同じですが、これに測定の誤差を示す標準偏差σ(シグマ)を含む2つの項が加わっています。
小澤の不等式は次の2つの特徴を持ちます。すなわち、(1)ハイゼンベルクの不等式は特定の状況に限定されたものであったのに対し、一般的な状況の下でも成立することと、(2)位置の測定誤差ε(q)と運動量の擾乱η(p)の両者を同時にいくらでも小さくできる可能性があることを示唆していることです。
実際、小澤の不等式では例えばη(p) = 0でもσ(p)が十分に大きければ、ε(q)もそれに応じていくらでも小さくできます。それでは、電子は「位置」と「運動量」を同時に測定できる「粒子」であるとの考えが復活するのでしょうか。いえ、この式の中で、測定の誤差を示す標準偏差に電子の「波」としての性質が反映されているため、やはり電子は通常の「粒子」ではありえないのです。
物理学では理論的な予言は実験の上で検証できて初めて確かなものと認定されます。小澤の不等式も実験で確かめる必要があります。最近、ウィーン工科大学の長谷川祐司氏によって位置と運動量の代わりに中性子が持つスピンと呼ばれる角運動量のx成分とy成分のを用いた検証実験が行われました※。この二つの物理量は、位置と運動量と同じく同時測定できない組になっており、理論的にはやはり(スピンに対する)小澤の不等式を満たします。実験的にはいくつかの異なる状態に対してこれらのスピンを2段階に測定し、その結果を持ち寄って測定誤差や擾乱、標準偏差を求め、それらから小澤の不等式の3つの項を計算します。
その和の値をプロットしたのが図2ですが、明らかにその和は小澤の不等式を満たしており、一方で第一項のみの値はハイゼンベルクの不等式の下限を破っていました。』KEK よりメモ引用