公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

このおやじの60年

2014-12-31 22:12:00 | あほの押し売り

北海道川上郡弟子屈町川湯大字跡左登55に生まれる1958年4月

世代的には

シラケ世代を指す範囲の定義は諸説ある。無共闘世代か?全共闘も知らなければ共通一次試験も知らない世代。

  1. 1950年代に生まれた世代[5]:この範囲では、学生運動が下火になる時期に大学生だった世代から、共通一次試験制度が開始される前までに大学に入った世代までという範囲である。この場合、「新人類」は共通一次試験を経験した1960年代に生まれた世代を指している。
  2. 1950年代の“後半に”生まれた世代[3][4]:最も狭い定義で、「無共闘世代」と呼ばれることもある[6][7]。この範囲では、ベビーブームが過ぎた後の出生数が最も少なくなった時期に生まれ、高度経済成長と学生運動時代が終わった直後に高校を出て、共通一次試験制度が始まる前に大学に入った世代、という範囲に基づいている。


冷害
離農する
1960年標茶町熊牛原野に仮住まい
1963年〜1964年 一時的に一家離散
1965年釧路市内の小学校入学
1971年釧路市内の中学校入学
1974年釧路市内の高校 湖陵高校理数科入学
1977年北海道大学入学
われわれの頃、学部女子は5%しかいなかった。
 


 

いちばん悩みが深かった1980年の写真

休学 思うこと

1983年 北海道大学水産学部卒業
1983年4月 日水製薬入社 医薬品分析研究、持続性製剤研究
1990年4月 久光製薬入社 DDS研究:経口大腸デリバリー、合成高分子吸着研究:高脂血症治療薬開発:HBS-107、遺伝子キャリア研究:ペプチドキャリア、遺伝子治療ヴェクター研究:研究管理

1993年 久光製薬私企業資力の限界からコンソーシアム型遺伝子治療ベクター開発会社ディナベックを発案 1994年次不採択、翌1995年採択 当時の厚生労働省の仕組み医薬品機構出資によるディナベック研究所創業と同時に同社へ出向する

1995年3月(地下鉄サリン事件の日)官民共同出資のベンチャー ディナベック研究所設立第一日目

同年4月本格稼働 目的 日本オリジナルヴェクターの開発(事業は継続され民間会社ディナベックに技術移転後、アイロム社が開発継続している、株式会社IDファーマに社名変更

2001年4月久光製薬帰任


同時期(1997年~2001年)以下をプロデュース

ポストゲノムシークエンス研究(遺伝子機能アノーテーション)を千葉県がんセンター(当時の部長→センター長 中川原章博士管理下)において実験室を立ち上げ、小児がん由来ヒト神経系特異的遺伝子ライブラリーの取得、遺伝子機能解析研究計画を作成。この成果で同氏は高松宮妃癌研究基金・学術賞(基礎研究部門)を当時のセンター長は受賞される(佐賀医療センター好生館理事長を経てSAGA HIMAT(九州国際重粒子線がん治療センター)中川原章理事長 九州大学 長崎大学教授)第21回比較腫瘍学常陸宮賞2018年対象業績「神経芽細胞腫の自然退縮の機序解明とヒト新規進化遺伝子産物N-CYMの発見」国際神経芽腫学会(ANRA)から「Lifetime Achivement Award(特別功労賞)」を受賞

2001年久光製薬がDDSから撤退する事が契機となって立場をベンチャーキャピタルからの技術開発投資に変えて他社技術開発の実用化へ進む


2002年7月 北海道ベンチャーキャピタルにて活動開始、北大TLOにて北海道大学の糖鎖研究の 知財開発 支援 バイオ関連投資事業有限責任組合 投資担当キーマン、総医研GTSTacere(Benitech)等に投資を担当。
2004年7月 株式会社シーテック研究開発本部長として医薬応用を目指す白金ナノコロイド利用のため投資先のシーテック社にハンズオン目的入社。
2005年4月 同上 専務取締役 研究開発本部長 2005年10月29日から 
同上 代表取締役 社長 アプト社へ全事業譲渡後 シーテック社解散
2006年7月 アプト株式会社創業 代表取締役 現在に至る

九州工業大学大学院単位取得後中退 忙しすぎて博士号は諦めた。
英検準一級
甲種危険物取扱者



尊敬する経営者 出光佐三
好きなアーティスト 中島みゆき 八神純子

医薬品分野での幅広い経験を活かし、生命科学の研究開発に深く関わってきました。日水製薬、久光製薬、ディナベック研究所、そしてアプト株式会社での勤務を通じて、製品開発から品質管理まで幅広い業務を担当しました。危険物取扱者甲種資格を持ち、英検準一級を取得しています。

新たな技術や知見に敏感であり、常にイノベーションを追求するチームの一員として活躍してきました。プロジェクトリーダーとして、チームメンバーの指導や統括を担当し、タイムリーな課題解決を行うことで成果を挙げてきました。

自らの成長と組織の発展を両立させることを心がけ、自己啓発にも力を入れてきました。将来も研究開発分野でのイノベーションに貢献し、医療・医薬品業界において価値ある成果を生み出すことを目指し、情熱を持って挑戦を続けます。


回想と若い人へ

やや年月が経った2024/08/22近影




以下追補
(事業活動)
2006年白金ナノコロイド抗酸化効果ヒトエビデンスのある国内唯一の清涼飲料水 プラチナウォーターAPt発売
2007年 第3世代白金ナノコロイドの発売
2008年 白金ナノコロイドの色素増感型太陽電池電極応用
2009年 ヘアケアシリーズ NC NCG 発売
2013年 口腔ケア プラティクルリンスシリーズ PNT PCR
2014年 OEM受託スパークリングシリーズ SPP 
2016年 大腸発酵力腸漏れケア マルベリー・ピーティ MPT発売 
プラチナウォーターAPt500万本販売達成
2017年 口腔ケア錠剤食品 マウスメイト MM発売
2017年 FDA Health Claim取得 プロジェクト開始
2018年 ヘアカラーリング特許出願
2020年 プラチナ電解水の機能性証明臨床試験①
2021年 同上臨床試験 某2社との共同実施を支援している。
2021年 ヘアサロンカラーリング向け白金ナノコロイド供給開始
 
2022年 臨床試験結果よりアッカーマンシア菌の増殖組成特許成立 プラチナ電解水の機能性証明臨床試験②

2023年 化粧品公認OEM開始







 
口腔洗浄液



清涼飲料水用粉末


シャンプー



吸収されない腸活サプリメント

マルベリー・ピーティ発売2016年11月11日

 腸のためのサプリメントAmazon販売中



 


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