理論物理学教程というものがあることを灘の天才 岡田康志のインタビューから教えてもらったのだが、原著がロシア語という壁がある。ターヘル・アナトミアの翻訳のように1日2行ということもあるそうで。現代の若者も捨てたものではないと思った。
『「ランダウ、リフシッツ理論物理学教程」は名著ながら、入門書とするには難解だとする人も少なくありません。しかも、改訂のためにはロシア語からの邦訳が必要です。』
ランダウの物理学は、ソ連の物理学者レフ・ランダウによって確立された一連の物理学的手法やアプローチを指します。主な特徴は以下の通りです:
1. 理論物理学の厳密性: ランダウの物理学は非常に厳密で数学的な論理に基づいており、幅広い物理現象を基本的な法則に帰着させることに焦点を当てています。
2. 抽象的なアプローチ: 物理学の問題を抽象的で一般的なレベルで取り扱い、基本的な方程式や原理に基づいて物理現象を説明することを目指しています。
3. 統一的理論の追求: ランダウの物理学は異なる物理現象や領域を統一した枠組みの中で理解しようとする試みを行っています。
4. 理論的予測の重視: 物理学理論からの予測を重視し、実験との比較を通じて理論の妥当性を確かめることが重要視されています。
これらの特徴によって、ランダウの物理学は物理学の基本的な理解と理論的予測の発展に大きく貢献しています。
なんだとさ
1938年4月28日、ランダウは同僚のYuli B.Rumer、Moisey A Koretsと共に逮捕された。罪状はスターリニズムとナチズムを比較し、スターリンを批判するビラを作成したことである[13][18]。ランダウは内務人民委員部(NKVD)のルビャンカ刑務所で服役し、上司である同研究所長のピョートル・カピッツァによる懸命な嘆願活動により1939年4月29日に釈放された。カピッツァはスターリンに書簡を送り、個人としてランダウの行動を保証し、ランダウが釈放されなかった場合は研究所を辞任すると脅迫した[19]。
1941年、カピツァが発見したヘリウム4の超流動現象を理論的に説明する論文を発表した。この論文は、その後の物性物理学の基礎的概念となる準粒子の概念を導入している。またこの論文では、ヘリウム4の波動伝播において「第二音波モード」の存在を予言しており、この「第二音波モード」は1944年に実験的に観測された。
1940年代から1950年代前半にかけて、ランダウはソビエトの原子爆弾および水素爆弾開発プロジェクトに参加を余儀なくされた。彼はこのプロジェクトに嫌悪感を示し、最小限の仕事に留めるよう努めた。しかしながら皮肉なことに、彼の考案した数値計算手法により水爆の核出力を算出することが可能になり、結果的に水素爆弾開発に多大な貢献をした。この貢献により、1949年と1953年のスターリン賞を受賞し、1954年には社会主義労働英雄の称号を授与された[13]。1953年のスターリンの死後、ランダウは核開発プロジェクトから脱退した。
翻訳もたくさんのヴァリエーションがある。
とりあえず「物理学者ランダウ」でも読んでみようか。
山本義隆さんは有名塾講師で元学生運動家で逮捕歴もある。東大は卒業しているから秋山先生と同世代かちょっと上の学年。
───進学振り分けで、医学部を選んだのはどうしてでしょう?
東大の教養学部には「全学自由研究ゼミナール(全学ゼミ)」といって、普通の授業とは別に自分の好きなテーマを学べる制度があって、これまた生物や物理、数学とかいろいろ顔を突っ込んでいたんですけど、ちょうど進振りの時期に、当時駒場の助教授をしておられた大隅良典先生(オートファジーの第一人者)の研究室に出入りしていたんです。そこで大隅先生に「理学部と医学部のどちらに行ったらいいですか?そもそも医者になるつもりはなく、生物物理の研究をしたいんですけど・・・」と相談したら、「医学部の医者になるための教育に潰されない自信があるなら、将来のポストの面でも研究費の取りやすさの面でも、医学部に進んだ方が圧倒的にトク」と即答され、医学部に進むことを決めました。