これまでの投稿から時節に関係したコメントスクラップ紙片を集めます。
令和道鏡が帰国と聞聞き
今でこそ何もない所だが770年(宝亀元年)弓削道鏡が左遷された東の飛鳥の地として有名。その大事件のわりには資料館の動画には和気清麻呂の活躍により国体が護られたという言及はなし。
こういう歴史はちゃんとメディアが知るべきこと
126年前の李氏朝鮮高宗が日本人の指導で初めて定めた憲法さえ未だまともに実行できない国(清国が中共支那に代わっただけ)がまだ半島にあり近代の要件(諸侯の台頭)を満たしていない歴史が災いした結果、わずか第14条さえ日の目をみない。この近代化に奮闘した金集弘は王の命令で民衆鵜合に撲殺された。
朝鮮とは縁を切るべき
国事行為軽蔑の表情が隠しきれてません。
修身からやり直し給え
本家。中心になる家を宗家という。すなわち天皇家は國民の本家筋なのです。簡単にいえば人間に稀な天然記念物。悠久の霊威に基づく家系尊敬のどこが宗教でしょう。日本人が深山幽谷の大樹に出会った時と同じナチュラルパワー感受と同時に畏敬の感情を持つところに日本人の中心たりうる資格が天皇一家に生じる。
鈴木宗男への手紙
グローバリズムと対決すべき
私は典型的な戦後反米右翼に分類されるような思想の持ち主ではありません。むしろ米国にもたらされたものであったとしても民主主義や自由を尊重する現行憲法の趣旨は三島由紀夫と同じ程度に尊重する考えです。特に9条は改正すべきと考える者ですが、私は危険な愛国者でも非愛国者でもありません。愛国者の義務は将来の強国を今ここで建設することと考える凡夫です。
ただし、私の愛国の考え方と貴兄の考えの表明の間には決定的に大きな違いがあります。貴兄は「国家」と「国民」を対立概念と考えて、国家が優先か、国民が優先かと単純にお考えのようですが、愛国者か愛国者でないかと同じように、貴兄は二分法で問題を分解して、対立させ無意味な自由を持ち込んでらっしゃいます。これこそが方法論的思想侵略です。貴兄は見事に国際主義者の計略にはまっています。私の考えの一端を以下に紹介いたします。
「国家」と「国民」を対立概念とする前に、「国民国家」という上位概念があることをご存知でしょうか?国民国家は国家が滅びても残るもの國體です。国際主義は国民国家とは相容れない思想の塊(共産主義から国連協調主義まで)です。私は過去多く使われた國體という言葉はあまり好きではありません。国民国家という概念はそれに近いものですが自国中心の国粋主義ではありません。普遍的価値のあるものが国民国家という概念です。これに対決してアプリオリに国民とその生得的自由を結びつけ、国家を自由国民あるいは市民の対立概念とする考え方が無自覚な国際主義の方法論です。