8年前にこう書いた。
なかなか読む機会のなかったミハイル・バクーニンを読む。アナーキーという選択肢といえば、反社会とか反権力を思い描きがちだが、バクーニンは単なるAgainst Method ではない。彼の生活あるいは生活者からみた思想は、マルクス主義と対比してみるに興味深く、(特にルンペンプロレタリアートに対しての信頼のよせ方)アナーキーというこの古いキーワードは時代を2周して現代政治の大切な要素の一つとなるだろう。
なぜならば、社会改造や革命という維新プロセスを論理的に考えれば、既存国家制度や統治秩序が不透明に一時停止することは避けられない。これを制度の修正によって議会を通じて少しずつ行うとしても、既存秩序の利害関係者、ことに官僚や利得者にとっては存続基盤の停止となる。企業ならば株価が暴落する。高級官吏は失職する。改造とはそういうことが含まれている。高級官吏の失職も既得権益喪失もない社会改造を国民に約束することは、改造課題が現在の統治において明確に存在しても現状支配を名を変えて強化するという維新構造の裏約束がある裏切りの証拠だ。既存左翼は信じることが出来ないかもしれないが、社会改造も国民主権の議会制民主主義も、丸山真男が奇しくも永久革命と言ったようにアナーキーの一種であることに19世紀も21世紀も変わりはない。日本人が自力救済という選択肢を忘れているだけのこと。
自力救済とは、政府に頼らないという自立原則を指す。自立とは皮肉なことに一種のアナーキー状態を容認することです。保護を拒絶するから政府はいらない。既存秩序に利害を持つものは例外なくそれを捨てるか敵になるかどちらかである状態がアナーキーである。