『だが私は、「大野泰弘さん」「67歳」という被害者の名前と年齢に釘付けになっていた。その後、大野さんの住所が「新宿区四谷坂町」と報道され、「やっぱり、あの大野さんか」と、がっくりした。』AERA切り取り。石破とは関係ない。後日の参考に切り抜いておく。
石破茂評
門田隆将 “エリザベス女王の国葬でも議会の議決を取っている”と主張していた石破茂氏が“国王や女王の国葬に議会の議決は必要がなく私の事実誤認。お詫びして訂正させて頂きます”と誤りを認めた。内閣府設置法に基づき決定した国葬儀の事も少しは勉強したら?野党の尻馬にすぐ乗る政治家。
有本香 野田佳彦元首相と石破茂元幹事長、所属政党を交換なさったらよろしいのに。
ハニートラップって本当にあるんだね(棒)
「石破氏の場合は、父親から植え付けられた強烈な劣等感が屈折した精神と深い関わりがあると、私はみています。
石破茂の父石破二郎は東京帝大から内務省に進み、鈴木善幸内閣で入閣した後鳥取県知事を務めるという、いわゆる鳥取の名士でした。人柄は質実剛健で、身内に大変厳しい事でも知られていました。茂の2人の姉にも非常に厳しく接したと伝えられています。
石破 二朗(いしば じろう、1908年〈明治41年〉7月29日 - 1981年〈昭和56年〉9月16日)は、日本の内務・建設官僚、政治家。位階・勲章は正三位・勲一等瑞宝章。
参議院議員(2期)、鳥取県知事(第39代)。鈴木善幸内閣において、自治大臣(第28代)兼国家公安委員会委員長(第38代)を務めた。
さらに悪い事に、茂は二郎が48歳の時に図らずも出来てしまった想定外の子供で、二郎はしばらくの間茂の誕生を外部に隠していました。
望まれずに生まれ出てきてしまった茂は、生来厳格で知事としても極めて多忙だった父二郎から十分な愛情を注がれないまま育ったと言われています。
茂は、父の母校である東大に進むものと周囲から期待されていましたが、結局大学受験に挑戦せず親のコネで慶応高校に進学するという道を選びます。」