公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

うす汚された日本 3 守るべきミニマム

2010-07-16 23:21:33 | 日記
 友人が選挙に出る。国政ではないが、政治家である事の要諦はいつもおなじこと。
 つまり、最強であるためには最小限(ミニマム)である事。こう思う。GCF最大公約数の発想で考え、国民を導く事。それが政治的成果の要諦だ。

 この國のミニマムはなんだろう。
 
 国民を結束させる欠かすことのできないGCFミニマムこそが、アジェンダであるべき。総花的アジェンダはどこまでも迎合したマキシになってしまう。
 
 この國のミニマムは現在というこの時間共有そのものだ。

もう一度、日中/太平洋戦争で死んでいった人々の守りたかった大事を思い起こす事だ。300万人もの尊い人命を失って、守ったもの、守ろうとしたもの。戦争に進んだ動機を考えてみよう。いまこの列島の上で生きるだれもが300万人の犠牲の上に座り、直接の父祖としていることを免れない。
 清き公の誠。親しき家族の平和。死を賭すべき名誉。
 この3つがあるから日本は國を300万人の犠牲によって支えた。(米国の犠牲者は40万、ソ連は1000万、中国は2000万人といわれる。相手国には10倍の犠牲者を出していることも忘れてはならない)
 左も右もこれを忘れては現代政治は出来ない。現在の私たちがここにある前提を否定して国民を代表する事はできない。これが政治家が守るべきミニマムだ。現政権の金のばらまきや所得保証によって支持されている政治は国民を結束させているのではなく、金の臭いでうす汚れた国民を烏合させるまやかしである。守るべきミニマムの無い政治が国民から國の想像力を奪っている。
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「イデーとは、理性に向かってよりよい意識を示してくれるような概念の全体である。従って、よりよい意識を概念の全体から切り離すことはできない。」・「ひとつのイデーのためには、人は喜んで死に赴く。そして、そのような死こそは最高の徳である。」


ショウペンハウエル  『根拠律の四つの根について』ヴァイマールの草稿  『遺稿』
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