もう12月ですか。
さて話を戻すが、この前提に立って世界は無限に理解可能だろうか?答えは否であり是である。モデルには演算子固有の知性限界がある。四則演算結果を自然数に閉じ込めることができないように、変化前の元の演算結果を元の変化前の知性世界に閉じ込めることが可能な時も有ればそうでない時もある。その限界が新しい知識(世界の無限理解契機)の源泉である。神という結果は人類がその自然肉体を用いた思考の最初の集合に含まれない演算限界である。言語もある種の離散群で一般化可能な演算である。無限に理解できるが群の要素は無限には必要ない。
言葉や言語という単位で世界を認識するわれわれにとってそういう単位の順列や組み合わせ関数操作が元の世界の中に閉じていないことが宗教的分野で知的冒険者を産んできたが、科学も未だに本質は同じで数理構造(数学)を操作関数においている違い以外に知的冒険の構造は変わらないし同じように素朴なやり方で世界を拡張している。可能な世界を拡張して実証できることもあればできないこともあることをわれわれは承知している。実証できないから可能な世界は到来しないとも言い切れないが、到来するとも言い切れない。その場合はまず言葉か数理構造を疑うべき。危険なことは捨てられない言語がわれわれの未来を縛り続けることである。