平野啓一郎さんの「マチネの終わりに」を読みました。図書館で予約して長い間待ってやっと順番が来た本です。去年、福山雅治さんと石田ゆり子さんの共演で映画化されて、物語はよく知られたと思います。主人公は蒔野聡史。若くしてデビューした天才的クラシックギタリスト。2006年、38歳の蒔野はデビュー20周年記念として、国内外で多くのコンサートを行い、最終日、東京でのコンサート終了後に、レコード会社の担当者の是永と連れ立って来ていた小峰洋子と出会う。その日、打ち上げにも参加した洋子は蒔野と長時間語らい、互いに運命的な人に遭ったという意識をもって別れた。小峰洋子は、フランスのRFP通信の記者だった。自宅はパリ。取材のためイラクのバグダットに六週間赴任し、二週間休みをとるという勤務をしていた。バグダッドに滞在中、通信社が入っていたビルが自爆テロにあうという経験をした。蒔野と洋子の二度目の逢瀬は、パリだった。マドリードでのコンサートに行く途中、パリは単なる乗り継ぎだった予定を変えて、蒔野は洋子に会い、愛していると伝え、リチャードとの結婚するのをやめるように迫った。マドリードでのコンサートを聴きにくるはずだった洋子は来なかった。蒔野は動揺し、コンサートは不調に終わった。携帯に届いた洋子からのメールは、コンサートに行けなかった理由を話したいから、自宅に来てほしいという内容だった。パリの洋子のアパルトマンには、イラク人女性のジャリーラがいた。洋子はその朝、パリのドゴール空港から電話を受け、イラクからフランスに亡命してきた元アシスタントのジャリーラの身元を保護するために、コンサートに行くことができなかったのだった。ジャリーラを慰めるため、蒔野は、ギターで曲を奏で、3人は温かなひと時を持った。ジャリーラが就寝した後、洋子は婚約を破棄したいと婚約者に伝えたことを蒔野に話し、二人は熱い時間を過ごしたのだった。東京での初めての出会い。パリでの二度の逢瀬。たった三回で、こんなにも深く愛し合った彼らだったが、その後は、リチャードとの婚約破棄は難航しジャリーラとの同居は長引き、東京へ転勤したいという洋子の希望は実現せず、二人はスカイプで話し合ってはいたものの、心細さの中で、洋子は軽いPTSDを発症した。一方、蒔野も音楽的にスランプに陥っていた。しかし、互いの不調は伝えないまま・・・・。8月末に洋子が来日し、1週間を東京で過ごすことになった。空港へ迎えに行くつもりだった当日、蒔野のギターの恩師である祖父江が倒れたと連絡が入る。急いで病院に駆け付けた蒔野は、タクシー内に、携帯を忘れたらしいことに気づく。今晩洋子に会うことは無理と思ったが、洋子にも連絡できず、途方にくれた彼は、唯一記憶に残っていたマネージャー三谷の番号に公衆電話から電話し、タクシー会社にあったという携帯を取りに行ってもらった。三谷は、音楽家としての蒔野を尊敬していただけでなく、彼を愛していた。洋子と蒔野を会わせたくない!と思い詰めた三谷は蒔野の携帯から洋子にあてて偽りの別れのメールを送った。それを境に洋子と蒔野の運命はどんどん離れていくのだった。さて、「マチネの終わりに」というタイトルですが、これは最後の場面を暗示しています。5年半の空白の時をはさんで、蒔野と洋子はどうなったでしょう。究極のメロドラマみたいな展開でした。
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