9月1日の午後、3週間ぶりに静岡の我が家に帰ってきました。簡単にこの夏をふりかえります。
8月12日(木)
子供たちが13日に長野の家に帰省したいと言っていたので、名古屋から帰った翌日、長野に出発しました。途中、中部横断自動車道を走るのですが、山梨県内で大雨になり、トンネルを出た途端に前が見えないほどの雨に見舞われました。でも、またすぐにトンネルに入ることの繰り返し。諏訪南ICで降りて一般道を走っていたときは、雨があがりました。ところが13日から大雨になりました。雨に降りこめられていました。
8月14日(土)に雨に降りこめられていましたが、買い物のついでに権現の湯に入りに行きました。ロビーから見た景色はガスで真っ白。お風呂上りはいつものように八ヶ岳牛乳を飲みました。外は雨が降り続き、コインランドリーで洗濯物を乾かし、蓼科道の駅で、食事をして帰りました。蓼科牛のお重を食べました。
8月14日は夕方から夜にかけて大雨になり、倒木による停電がありました。スマホに町から緊急の警告メールが何回か届き、町内数か所に避難所が開設されたと知らせてきました。暗くなってきたし、避難するとかえって危ないので、そのまま家にいました。停電はしばらくしたら復旧し、無事にご飯が炊けました。中央高速道路も通行止め、JRの中央線の特急も運休で、息子たちは来るのをやめました。岡谷ではがけ崩れで犠牲者が出て、諏訪地方は内水氾濫があり、街中の道路が冠水して大変な状況になりました。JR中央線の一部運休は、9月3日まで続きました。
8月16日(月)静岡県がついに緊急事態宣言地域になると報道されました。期間は8月20日から9月12日まで。合唱再開はできなくなり、太極拳も地区交流センターが閉鎖となり、句会も会場が使えず、誌上句会に変更されました。ただ、後日、太極拳は地区交流センターから集会室を使ってよいと連絡があったそうで、教室は自主練習になり、練習を続けていたようです。
8月20日(土)名古屋から一泊で長男一家が車で帰省しました。下の子が生まれて初めての帰省でした。家族揃ってきたのは2年ぶりでした。最初の日はベランダでBBQをしました。昼は焼肉でしたので、夜は鮎の塩焼き、鯵の刺身、春雨サラダ、茄子とさくらえびの煮物、お吸い物を作りました。お昼はビールを、夜は日本酒の冷酒を飲みました。翌日の昼食後、長男たちは帰りました。今回、1歳になったばかりの下の孫は人見知りの真っ最中でしたが、帰り際に上手にバイバイができました。5歳になった上の子とは、トランプやすごろく、けん玉など、たくさん遊びました。短い滞在でしたし、こんなご時世ですので、どこにも遊びに行きませんでしたが、山の緑と涼しさだけで寛げたようです。
しばらく好天が続いたので、寝具を片付けるのに助かりましたが、23日ごろからまた天気が悪くなりました。権現の湯には、3日に一度のペースで入りに行きました。一人500円ですが、毎日だとばかにならない金額になります。温泉に行かない日は私はシャワーですませました。
8月27日(土)に天気が良かったので、長野市の水野美術館に行きました。水野美術館はきのこのホクトの創業者の水野正幸さんのコレクションをもとに作られた私設の日本画専門の美術館です。橋本雅邦、横山大観、下村観山、菱田春草などを中心に上村松園、高山辰雄、加山又造、鏑木清方など、近代以降の多くの日本画の巨匠の作品約500点で構成されています(資料より)。この日は、琳派の流れをくむ神坂雪佳さんの展覧会を開催中でした。神坂さんは絵画だけでなく、工芸作品も多く手がけた明治、大正、昭和にかけて活躍した芸術家でした。水野美術館は庭園も素晴らしく、美しかったです。

午後は夫が松代に行きたいというので、行きました。まず、日暮らし庵という蕎麦屋で、まつしろ定食を食べてから、見学しました。暑い日でしたので、ちょっと大変でしたが、真田邸や、松代藩の藩校だった文武学校などを見学しました。城下町松代は、いろいろ見所がありました。真田邸はなかなか立派で、保存状態も良かったです。また。文武学校の建物は現在も地域の催しで使われているそうで、とても保存状態が良かったです。砲術所では、大砲、火縄銃、スペンサー銃を撃つ疑似体験ができる設備がありました。
最後に、太平洋戦争末期に軍部が大本営を松代に移そうとして、昭和19年11月から終戦まで朝鮮人たちを多く動員して、掘り進んだ地下壕を見学しました。突貫作業で過酷な現場だったらしく、入口に慰霊碑がありました。素掘りの構内は、見学者のためにライトがつけられていますが、床は土で、でこぼこしており、足場は良くありません。ヘルメットをかぶって入ります。戦争遺跡として残そうと平成元年から見学が許され、総延長5853メートルのうちの一部、500メートルほどの距離を進めますが、私たちは半分くらいで引き返しました。軍部は、とんでもないことを考えていたのだなぁと思いました。最後に佐久間象山をご神体とする象山神社にお参りしました。
8月の終わりに、別荘仲間のG藤さんとK田さんと2年ぶりにG藤さんのお宅に集まって3人でおしゃべりできました。食事ではなく、茶話会でしたが、なるべくマスクをはめて気を付けました。また、来年、元気にお会いできますように。
9月1日(水)。天気が崩れる前に、静岡の我が家に、向いました。途中、湯川温泉河童の湯に入り、原村の自由農園で長野の物産を買い、山の恵でそば定食を食べました。8月29日に中部横断自動車道路が全線開通したので、1時間ほど短縮し、楽になりました。山ばかりの難工事だった道路ですので、トンネルばかりで、運転には気を使います。無事に静岡県に入った時は、静岡ナンバーに囲まれて、ほっとしました。他の写真はフォトチャンネルを作りましたので、ご覧くださいませ。
8月12日(木)
子供たちが13日に長野の家に帰省したいと言っていたので、名古屋から帰った翌日、長野に出発しました。途中、中部横断自動車道を走るのですが、山梨県内で大雨になり、トンネルを出た途端に前が見えないほどの雨に見舞われました。でも、またすぐにトンネルに入ることの繰り返し。諏訪南ICで降りて一般道を走っていたときは、雨があがりました。ところが13日から大雨になりました。雨に降りこめられていました。
8月14日(土)に雨に降りこめられていましたが、買い物のついでに権現の湯に入りに行きました。ロビーから見た景色はガスで真っ白。お風呂上りはいつものように八ヶ岳牛乳を飲みました。外は雨が降り続き、コインランドリーで洗濯物を乾かし、蓼科道の駅で、食事をして帰りました。蓼科牛のお重を食べました。

8月14日は夕方から夜にかけて大雨になり、倒木による停電がありました。スマホに町から緊急の警告メールが何回か届き、町内数か所に避難所が開設されたと知らせてきました。暗くなってきたし、避難するとかえって危ないので、そのまま家にいました。停電はしばらくしたら復旧し、無事にご飯が炊けました。中央高速道路も通行止め、JRの中央線の特急も運休で、息子たちは来るのをやめました。岡谷ではがけ崩れで犠牲者が出て、諏訪地方は内水氾濫があり、街中の道路が冠水して大変な状況になりました。JR中央線の一部運休は、9月3日まで続きました。
8月16日(月)静岡県がついに緊急事態宣言地域になると報道されました。期間は8月20日から9月12日まで。合唱再開はできなくなり、太極拳も地区交流センターが閉鎖となり、句会も会場が使えず、誌上句会に変更されました。ただ、後日、太極拳は地区交流センターから集会室を使ってよいと連絡があったそうで、教室は自主練習になり、練習を続けていたようです。
8月20日(土)名古屋から一泊で長男一家が車で帰省しました。下の子が生まれて初めての帰省でした。家族揃ってきたのは2年ぶりでした。最初の日はベランダでBBQをしました。昼は焼肉でしたので、夜は鮎の塩焼き、鯵の刺身、春雨サラダ、茄子とさくらえびの煮物、お吸い物を作りました。お昼はビールを、夜は日本酒の冷酒を飲みました。翌日の昼食後、長男たちは帰りました。今回、1歳になったばかりの下の孫は人見知りの真っ最中でしたが、帰り際に上手にバイバイができました。5歳になった上の子とは、トランプやすごろく、けん玉など、たくさん遊びました。短い滞在でしたし、こんなご時世ですので、どこにも遊びに行きませんでしたが、山の緑と涼しさだけで寛げたようです。
しばらく好天が続いたので、寝具を片付けるのに助かりましたが、23日ごろからまた天気が悪くなりました。権現の湯には、3日に一度のペースで入りに行きました。一人500円ですが、毎日だとばかにならない金額になります。温泉に行かない日は私はシャワーですませました。
8月27日(土)に天気が良かったので、長野市の水野美術館に行きました。水野美術館はきのこのホクトの創業者の水野正幸さんのコレクションをもとに作られた私設の日本画専門の美術館です。橋本雅邦、横山大観、下村観山、菱田春草などを中心に上村松園、高山辰雄、加山又造、鏑木清方など、近代以降の多くの日本画の巨匠の作品約500点で構成されています(資料より)。この日は、琳派の流れをくむ神坂雪佳さんの展覧会を開催中でした。神坂さんは絵画だけでなく、工芸作品も多く手がけた明治、大正、昭和にかけて活躍した芸術家でした。水野美術館は庭園も素晴らしく、美しかったです。

午後は夫が松代に行きたいというので、行きました。まず、日暮らし庵という蕎麦屋で、まつしろ定食を食べてから、見学しました。暑い日でしたので、ちょっと大変でしたが、真田邸や、松代藩の藩校だった文武学校などを見学しました。城下町松代は、いろいろ見所がありました。真田邸はなかなか立派で、保存状態も良かったです。また。文武学校の建物は現在も地域の催しで使われているそうで、とても保存状態が良かったです。砲術所では、大砲、火縄銃、スペンサー銃を撃つ疑似体験ができる設備がありました。
最後に、太平洋戦争末期に軍部が大本営を松代に移そうとして、昭和19年11月から終戦まで朝鮮人たちを多く動員して、掘り進んだ地下壕を見学しました。突貫作業で過酷な現場だったらしく、入口に慰霊碑がありました。素掘りの構内は、見学者のためにライトがつけられていますが、床は土で、でこぼこしており、足場は良くありません。ヘルメットをかぶって入ります。戦争遺跡として残そうと平成元年から見学が許され、総延長5853メートルのうちの一部、500メートルほどの距離を進めますが、私たちは半分くらいで引き返しました。軍部は、とんでもないことを考えていたのだなぁと思いました。最後に佐久間象山をご神体とする象山神社にお参りしました。
8月の終わりに、別荘仲間のG藤さんとK田さんと2年ぶりにG藤さんのお宅に集まって3人でおしゃべりできました。食事ではなく、茶話会でしたが、なるべくマスクをはめて気を付けました。また、来年、元気にお会いできますように。
9月1日(水)。天気が崩れる前に、静岡の我が家に、向いました。途中、湯川温泉河童の湯に入り、原村の自由農園で長野の物産を買い、山の恵でそば定食を食べました。8月29日に中部横断自動車道路が全線開通したので、1時間ほど短縮し、楽になりました。山ばかりの難工事だった道路ですので、トンネルばかりで、運転には気を使います。無事に静岡県に入った時は、静岡ナンバーに囲まれて、ほっとしました。他の写真はフォトチャンネルを作りましたので、ご覧くださいませ。